デーヴァダッタについて

楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。今回はデーヴァダッタについて解説します。

デーヴァダッタ(提婆達多だいばだった)は、原始仏教教団に反逆した悪名高い人物として知られます。彼はブッダの従兄弟とされますが、その具体的な親戚関係について諸説あります。

大雑把には北伝と南伝で異なり、北伝では、デーヴァダッタはブッダの父方の叔父の子で、父の弟たちのうち、誰の子であるかは文献によって異なるため、判然としません。そしてデーヴァダッタとアーナンダは実の兄弟であるとされます。

一方、南伝では、デーヴァダッタはブッダの妃であるバッダカッチャーナー(ヤショーダラーの異名?)の弟であるとするため、デーヴァダッタはブッダの義弟ということになりますが、ブッダの両親とバッダカッチャーナーの両親が互いに兄妹であるため、ここでもブッダとデーヴァダッタは従兄弟ということになります(デーヴァダッタの父はブッダの母の兄、母はブッダの父の妹)。ちなみにこちらではアヌルッダ(阿那律)とアーナンダがアミトーダナの子であり、デーヴァダッタとは兄弟ではないとされます。

ブッダが成道後に、帰郷した際、アヌルッダやウパーリ、アーナンダなど、郷里のシャーキヤ族の人々とともにデーヴァダッタもブッダに請うて出家したとされます。一説にはこの時、ブッダはデーヴァダッタに、出家せず、世俗に残って布施することを勧めたといいます。

アーナンダ、アヌルッダ、ウパーリ、ラーフラなど、ブッダの十大弟子については以下の記事を参照してください。

デーヴァダッタの反乱

ある時、デーヴァダッタは教団に対し厳しい戒律を徹底するようブッダに求めます。戒律の内容にはバリエーションがありますが、概ね次のようなものです。

(1) 比丘(仏道修行者)は、生涯森林処しんりんしょに住むべきであり、村落に住むならば罪となる。
(2) 比丘は、生涯乞食者こつじきしゃであるべきであり、招待食しょうたいじきを受けるならば罪となる。
(3) 比丘は、生涯糞掃衣ふんぞうえ(ボロ布を綴って作った衣)をまとうべきであり、信者の施す衣を受けるならば罪となる。
(4) 比丘は、生涯樹下じゅげに住むべきであり、覆屋ふくおくに住むならば罪となる。
(5) 比丘は、生涯魚・肉を食べるべきではなく、もし食べたならば罪となる。
牛乳やバターを摂ってはいけない、と説く「律典」もある。

阿部慈園『インド仏教文化入門』

これらはかつてはブッダを含め、仏弟子たちが実践していた生活様式でしたが、教団が拡大するなかで、戒律としてはすでに柔軟化していました。

例えばブッダは大教団の教主として世間から一目置かれる存在となり、裕福な在家信者に食事に招かれることがあったり、寄進された精舎で寝泊まりすることがあったため、これらの戒律が徹底できなくなっていました。このため、ブッダは戒律の厳格な遵守を必須とせず、デーヴァダッタの要求を受け入れませんでした。

この要求はデーヴァダッタが故意に教団の分裂を謀ってなされたものとする所伝もあります。

ブッダ暗殺未遂

要求が受け入れられなかったデーヴァダッタは、新参の弟子500人をたぶらかし、教団からの独立を図ります。しかしブッダはサーリプッタとモッガラーナに命じて、弟子500人を連れ戻させます。

計画が破綻したデーヴァダッタは、交友のあったマガダ国の太子アジャータサットゥ(アジャータシャトル/阿闍世あじゃせ)をそそのかし、自分はブッダを害して教団を乗っ取るから、太子は父であるビンビサーラ王を害して王位に就くよう説き伏せます。

デーヴァダッタはアジャータサットゥから弓兵31人を借りて、ブッダ暗殺を目論みますが、失敗。次にギッジャクータ山(霊鷲山)の山上から大石を落としてブッダの暗殺を図りますが、これも失敗。次に酒に酔わせた大象をけしかけてブッダを殺そうとするも、これまた失敗に終わります。

「ナーラーギリの調伏」レリーフ(ブッダヴァナム・ストゥーパ出土 / 古代インド・2〜3世紀頃)

王舎城の悲劇

アジャータサットゥの父王弑逆は「王舎城の悲劇」として知られます。アジャータサットゥがビンビサーラ王に譲位を迫ると、太子を寵愛する王は迷うことなく、王位を譲りました。しかしデーヴァダッタはそれでは飽き足らず、復位の可能性があるとして必ず殺害するようアジャータサットゥに命じます。

アジャータサットゥはビンビサーラを幽閉し、食事を与えないことで餓死させようとしました。しかしアジャータサットゥの母、ビンビサーラの夫人ヴェーデーヒーが密かに食事を差し入れていたため、ビンビサーラは生きながらえました。これに気づいたアジャータサットゥは母も軟禁してしまいます。

ちょうどそのころ、アジャータサットゥの幼子が足の先に瘡(腫れ物)を病み、苦しんだため、アジャータサットゥは我が子を抱いて足の膿を吸ってやっていました。これを聞いたヴェーデーヒー夫人は、ビンビサーラ王も同じようにしていたと語り、アジャータサットゥは深い悔恨の情に駆られて、ビンビサーラを解放しようとします。しかし、時に既に遅く、ビンビサーラは息を引き取っていました。

こののち、父王殺害の果報のために、アジャータサットゥは全身に瘡を患って苦しんだともいい、デーヴァダッタと縁を切り、ブッダに帰依し、ブッダ入滅後も仏弟子たちを援助したといいます。

デーヴァダッタの堕獄

アジャータサットゥの頼みを失ったデーヴァダッタは、悪事も露見し、ラージャグリハに居られなくなり、カピラヴァストゥに戻って還俗し、王位を狙います。ヤショーダラー妃に王位を継がせようとする動きを知ったデーヴァダッタは、妃に関係を迫りますが、拒絶されます。

この期に及んで、デーヴァダッタは爪に毒を仕込んで、祇園精舎にあったブッダを襲撃しようと試みます。しかし祇園精舎を目前にして、大地が沈み、デーヴァダッタは地底の阿鼻地獄に引き込まれていきました。

もちろんこれは史実とは考えがたく、デーヴァダッタはヤショーダラー妃(およびブッダ)より、30歳以上も若く、他の所業と同じく、後代に創作され、デーヴァダッタに帰せられた悪名であろうと思われます。

反逆者の実相と再評価

デーヴァダッタの実相を知るすべはありませんが、インドを旅した法顕や玄奘は、当時においてもデーヴァダッタを始祖とする「仏教教団」がインドに存続していたことを伝えています。

デーヴァダッタは、ブッダに比肩する才覚の持ち主で、禅定に長けていたとされ、それゆえに傲岸不遜なところもあり、また、五箇条の要求に見られるように、虚飾を排し、質素倹約、清貧を重んじる真面目な(あるいは生真面目すぎる)頭陀行者であったために、拡大発展していくブッダの教団に違和感を抱いていたのかもしれません。

おそらく、デーヴァダッタはブッダの教団から分派独立し、独自の教団を結成していたと思われ、このため既成教団から、僧伽(サンガ)の平和を乱し、教団を分裂させた人物として忌み嫌われ、数々の悪逆非道の罪を帰せられたものと推測されます。

さらに興味深いのが、『法華経』「提婆達多品」では、過去世においてデーヴァダッタがブッダの導師であったとする点で、これには『法華経』の一仏乗の考え(すべての衆生が仏になれる)の表れともとれますが、デーヴァダッタの教団と『法華経』制作者たちに、何らかの接点があったのではないかとも考えられています。

あるいはまた、『ミリンダ王の問い』では、デーヴァダッタはいくつもの過去世において、ブッダと並ぶ聖者であったが、この世界においては、野心のために、ブッダに危害を加えようとし、サンガの和合を乱してしまったのだと説いています。

参考文献

菅沼晃『ブッダとその弟子89の物語』

山辺習学『仏弟子伝』

阿部慈園『インド仏教文化入門』

森章司・本澤綱夫「提婆達多(Devadatta)の研究」
https://www.sakya-muni.jp/pdf/11_01.pdf

龍樹の仏教観-詳細

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