ミル存命中のイギリス史10大事件

『功利主義論』のサポートページ企画です。今回はミル存命中のイギリス史10大事件について取り上げます。

以下は、J.S.ミル(1806–1873)の生きた時代におけるイギリス史の重要トピックを、10項目取り上げて解説したものです。ミルの思想形成や活動と重ね合わせると理解が深まります。

1. ナポレオン戦争終結とウィーン体制(1815)

ミル:9歳

ミルの幼少期、ヨーロッパはナポレオン戦争(1800-1815)の最終局面にありました。

1815年のワーテルローの戦いでナポレオンが敗れ、新たな国際秩序「ウィーン体制」(1815-1870)が確立されます。

イギリスは海上覇権を握り、自由貿易・植民地拡張を進める基盤を整えました。

ナポレオン・ボナパルト

2. ピータールーの虐殺(1819)

ミル:13歳

マンチェスターでの大規模集会に対し、軍隊が発砲し数十人が死亡、数百人が負傷しました。参政権拡大を求める民衆運動に衝撃を与え、政府は逆に抑圧的な治安六法を制定します。

「ピータールー」とは、事件が起きたセント・ピーターズ・フィールドと、ワーテルローの戦い(ウォータールーの戦い)を引っ掛けたもの。

ミルは少年期にこれを目の当たりにし、後年の自由論や民主主義論に強い影響を与えました。

2018年映画化

3. カトリック教徒解放法(1829)

ミル:23歳

前年の審査法の廃止によって非国教徒の公職就任が認められていましたが、カトリック教徒解放法により、カトリック教徒に対する公職就任制限も撤廃されました。

宗教的寛容と平等の実現という点で重要な改革であり、ミルの「平等な市民権」論にも通じます。

アイルランドのカトリック解放に尽力した「Liberator」(解放者)こと、ダニエル・オコーネル

4. 第一次選挙法改正(1832)

ミル:26歳

第一次選挙法改正では、腐敗選挙区(ロッテン・バラ)の廃止や、都市の新興中産階級への選挙権拡大が行われ、有権者数が50万人から81万人に増加。これは「改革法案(Reform Act)」として知られ、近代的議会政治への一歩となります。ミルはこの改革を支持し、さらに普通選挙へと進めるべきと主張しました。

腐敗選挙区制度と書かれた木を切り倒そうとする改革派

また、第二次選挙法改正(1867)では、都市労働者層に選挙権が拡大され、選挙権人口が135万人から247万人に拡大。ミルはこの時期、下院議員として女性参政権の修正案を提出(惜しくも否決)。民主主義のさらなる発展を推進しました。

5. 工場法と社会改革(1833~)

ミル:27歳~

1833年の工場法は児童労働を規制する初の本格的法律でした。1819年にはすでに幼児労働・夜勤が禁止されていましたが、1833年の工場法では、児童(9歳未満)労働の禁止、年少者(18歳未満)の深夜業の禁止、工場監督官による立ち入り調査権などが盛り込まれました。産業革命期の労働環境問題に対する国家介入の先駆けであり、ミルの「消極的自由と積極的自由の調和」論と関連します。

綿工場で働く子供たち

このほか、1834年の救貧法の改正、1835年の地方自治体法制定など、主にグレイ政権による自由主義的な社会改革が進められました。

6. 奴隷制度廃止(1833)

ミル:27歳

1807年には奴隷貿易の禁止が決定されていましたが、1833年には、英帝国全域で奴隷制度が廃止されました。人道的・倫理的改革として世界史的意義を持ち、ミル自身も奴隷制に強く反対していました。

西インド諸島に奴隷制度廃止の報せが届く

7. チャーティスト運動(1838–1848)

ミル:32歳~42歳

第一次選挙法改正による選挙権拡大から漏れた労働者階級によって、普通選挙権のさらなる拡大を求める運動が全国で展開されました。彼らの掲げた「人民憲章」(People’s Charter)にちなんでチャーティスト運動と呼ばれました。実現は後年に持ち越されましたが、大衆政治への道を開いていくことになります。ミルは後に女性参政権を含む選挙権拡大を議会で主張しました。

ケニントン・コモン広場での大規模集会の様子

8. 自由貿易の確立と穀物法廃止(1846)

ミル:40歳

反穀物法同盟(1839年結成)の動きと、アイルランドを襲ったジャガイモ飢饉をきっかけに、穀物法(コーン・ロー)が廃止。

穀物の輸入が自由化され、(オランダによる中継貿易を排除する目的でつくられた)航海法も廃止(1849)されたことで、自由貿易体制が確立されます。イギリスは世界経済の中心となり、「自由貿易帝国」として発展しました。

ミルの経済学も自由貿易を強く擁護しています。

反穀物法同盟と反同盟。イソップ寓話の「牛と蛙」を元に、巨大な資金力を持つ反穀物法同盟を牛になぞらえている。

9. インド大反乱(1857-1859)

ミル:51歳~53歳

アヘン戦争で活躍した東インド会社軍(20万人)の85%を占めるインド人傭兵(シパーヒー)による大規模な反乱がインドで発生。これを契機に東インド会社に代わって、イギリス政府がインド統治を直轄することになります。ミル自身は東インド会社に長年勤務しており、この事件とその後の植民地統治は彼の「文明化の使命」論をめぐる議論と直結します。

反乱軍による砲撃でカシミール門が破壊される様子

10. 教育法(1870)

ミル:64歳

1870年に公立校の設立、初等教育の普及を目的とする教育法(フォスター法)が制定され、1880年の初等教育の義務化へと繋がっていきます。リベラルな教育観を持っていたミルにとっても意義深い改革であり、教育の普及を通じた市民能力の向上は彼の自由論の重要な前提でした。

教育法制定を主導したW.E.フォスター

以上、これら10の出来事は、ミルの思想(自由主義、功利主義、女性解放、民主主義、植民地論など)と密接に関連しており、彼の時代を理解するための歴史的背景として非常に有用です。

このほか、ヴィクトリア女王の即位や保守・自由両党による二大政党制の確立、ジャマイカ事件(エア総督事件)、ダーウィン『種の起源』発表(進化論論争)など、ミルに直接間接にかかわる出来事があったことも付記しておきます。

参考文献

君塚直隆『イギリスの歴史』

川北稔『イギリス史』(下)

秋田茂『イギリス帝国盛衰史 グローバルヒストリーから読み解く』

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