楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。今回は、インド思想における六派哲学について解説したいと思います。

楠龍造『龍樹の仏教観』では次のような言及があります。
優婆尼沙土といわず、数論〔サーンキヤ学派〕といわず、勝論〔ヴァイシェーシカ学派〕といわず、声論〔ミーマーンサー学派〕といわず、瑜伽派といわず、仏教といわず、その大体の傾向より、これを論断するときは、インド思想の特色は、唯心的傾向、もしくは全然唯心的なることは、否定し能わざる事実なりとす。
楠龍造『龍樹の仏教観』

ここで言及されている「数論〔サーンキヤ学派〕」「勝論〔ヴァイシェーシカ学派〕」「声論〔ミーマーンサー学派〕」「瑜伽派」、そして名前は挙がっていませんが、ここに「ニヤーヤ学派(因明学派/正理学派)」と「ヴェーダーンタ学派(明論学派)」を加えたものが、六派哲学と呼ばれます。
中村元『インド思想史』では次のように述べられています。
インドでは正統派・非正統派にわたって哲学体系の数を六つにまとめて〈六つの哲学体系〉(Ṣaḍdarśana)とよぶことが古くから行なわれていたが、ときには正統バラモン系統の哲学体系としてしばしば六つを数え、これを日本では〈六派哲学〉とよぶことがある。正統バラモン系統の哲学としては、サーンキヤ学派とヨーガ学派、ヴァイシェーシカ学派とニヤーヤ学派、ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派とはそれぞれ姉妹関係にある。
中村元『インド思想史』

六派哲学は、バラモン教正統派(āstika)に属するもので、ここでいう正統派とはヴェーダ(バラモン教の聖典)の権威を認める思想を指します。その意味で、仏教やジャイナ教などは非正統派に括られます。
先の引用にある通り、六派哲学は次の六つからなります。
(1) サーンキヤ学派
(2) ヨーガ学派
(3) ヴァイシェーシカ学派
(4) ニヤーヤ学派
(5) ミーマーンサー学派
(6) ヴェーダーンタ学派
そしてまた、先の引用にあったように、これらは三つの姉妹学派に分類できます。
以下、順にそれぞれの思想を見ていきたいと思います。
(1) サーンキヤ学派
サーンキヤ(Sāṃkhya)は、インド哲学のなかでも非常に古い哲学体系のひとつで、その名称は、人間を構成せしめる構成原理を「観察する・数え上げる」(saṃ-khyā)ことに由来します。
最大の特徴は、精神原理と物質原理を区別した二元論にあります。

サーンキヤは世界を基本的に、プルシャ(puruṣa)とプラクリティ(prakṛti)の二つの原理から説明します。プルシャは、純粋な精神・認識主体のことであり、意識そのものであり、行為せず、変化せず、本来は清浄なもの、と考えます。
これに対し、プラクリティは、物質的な根本原理・自然のことであり、変化し、世界を展開させ、心や身体もここから生じる、とされます。
また、プラクリティはサットヴァ(純質・明るさ・軽さ)、ラジャス(激質・活動性)、タマス(暗質・重さ・停滞)という、三つの性質(グナ)から成り立つとされ、世界のさまざまな現象は、この三つのバランスによって説明されます。
サーンキヤ学派では、人間の苦しみの原因を、プルシャ(純粋な精神)が、プラクリティから生じた心身を「自分自身」だと誤認しているからだと考え、したがって解脱とは、「〈私〉は身体でも心でもない。〈私〉は純粋な認識主体である」と正しく見分けることであると説きます。
ちなみに、サーンキヤ学派の開祖は聖仙カピラであるとされ、ゴータマ・ブッダの出身地であるカピラヴァストゥ(カピラ城)は、このカピラに因んで名付けられた都市名です。
(2) ヨーガ学派
ヨーガ学派(Yoga)は、サーンキヤ学派と非常に密接な関係にあり、世界の基本構造については、多くの点でサーンキヤの思想を受け継いでいます。ヨーガ学派は、サーンキヤ哲学を修行体系として発展させたものともいえ、したがって、完全に同一ではないにしろ、いわば、理論面のサーンキヤ、実践面のヨーガという関係で捉えることができます。

ヨーガ学派の代表的文献は、『ヨーガ・スートラ』であり、伝統的にはパタンジャリの作とされます。
ヨーガの基本的定義として有名なのが、「ヨーガとは心の働きの止滅である」という考え方です。つまり、人間の心は絶えず、欲望、記憶、想像、判断、苦悩といった活動を続けています。その心の動きを静めることによって、純粋な認識主体であるプルシャを明らかにします。
サーンキヤとの大きな違いとして、古典ヨーガは一般にイーシュヴァラ(自在神)を認めます。サーンキヤは基本的に神を必要としない哲学ですが、ヨーガ学派では修行の対象として「特別なプルシャ」である自在神を認めました。
そのため、サーンキヤは理論的・非神論的傾向、ヨーガはサーンキヤ的世界観+修行法+自在神と整理できます。
(3) ヴァイシェーシカ学派
ヴァイシェーシカ学派(Vaiśeṣika)は、世界を徹底的に分類・分析する哲学であり、世界を構成するものは何か、という問題を中心に考えた哲学です。現代的にいえば、非常に存在論的・自然哲学的な性格をもっています。
代表的な祖師はカナーダとされます。

ヴァイシェーシカ学派の有名な思想が原子論です。物質は最終的には、それ以上分割できない微小な原子から成り立っていると考えました。特に、地、水、火、風などの物質的要素について原子的構成を考えます。
ヴァイシェーシカ学派は、世界に存在するものをいくつかの基本カテゴリーに分類し、実体・性質・運動・普遍・特殊・内属という、六つの範疇(パダールタ)に分析しました。
「ヴァイシェーシカ」(区別する者)という名前自体も、特殊・個別性(viśeṣa)という考え方と関係しています。つまり、世界には個々のものを個々のものとして成立させる特殊性がある、という点を重視しました。
(4) ニヤーヤ学派
ニヤーヤ学派(Nyāya)は、人間はいかにして正しい知識を得るのか、という問題を中心に研究しました。そのため、インドの論理学・認識論を代表する学派といえます。
代表的な祖師はアクシャパーダ・ガウタマとされます。基本文献は『ニヤーヤ・スートラ』です。

ニヤーヤ学派は、知識を得る手段(プラマーナ)を重要視しました。代表的には、知覚、推理、類比、言葉による証言という四つです。
ニヤーヤ学派は、推論、論証、議論、誤謬などを詳細に研究しました。そのため、後代のインド哲学における論争技術に大きな影響を与えました。仏教論理学のディグナーガやダルマキールティの発展とも、深い論争関係があります。
ニヤーヤは単なる論理ゲームではありません。正しい知識によって、無知、誤った認識、執着、苦を取り除き、最終的に解脱することを目的とします。つまり、正しい論理=正しい知識=解脱への道という構造です。
サーンキヤ学派とヨーガ学派の関係と同じように、ヴァイシェーシカ学派とニヤーヤ学派の関係も、姉妹関係にあります。端的には、世界の分析のヴァイシェーシカ、知識の分析のニヤーヤという関係にあり、後代には両者は非常に強く結びつき、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカとして一つの伝統のように扱われることも多くなります。
(5) ミーマーンサー学派
ミーマーンサー学派(Mīmāṃsā)は、六派哲学のなかでも特にヴェーダの祭式を重視します。
「ミーマーンサー」とは、考察・探究といった意味であり、通常、六派哲学のひとつとしていう「ミーマーンサー」とは、プールヴァ・ミーマーンサー(前期ミーマーンサー)を指します。

この学派の中心問題は、ヴェーダの祭式命令をどのように理解し、実行するかということです。たとえば、「どの祭式を行うべきか」「ヴェーダの文章をどう解釈するか」「儀礼はなぜ効力をもつのか」といった問題を考えます。
ミーマーンサー学派は、ヴェーダの権威を非常に強く擁護しました。重要な考え方として、ヴェーダは人間によって作られたものではない、という思想があります。ヴェーダの言葉は本質的に永遠であり、特定の人間が著者として創作したものではない、と考えられました。
非常に興味深いことに、ミーマーンサー学派は「正統バラモン哲学」ですが、必ずしも人格神を重視しません。むしろ重要なのは、正しく行われた祭式そのものが結果を生み出す、という考え方です。ここで重要になるのが「アプールヴァ(apūrva)」という概念です。祭式を行うと、その行為によって目に見えない力が生じ、後にその果報をもたらす、と説明されます。
(6) ヴェーダーンタ学派
ヴェーダーンタ(Vedānta)は、現代でも非常に有名なインド哲学です。
「ヴェーダーンタ(Vedānta)」は文字どおり、ヴェーダの終わり、という意味で、「ヴェーダ文献の最後に位置するウパニシャッド」と「ヴェーダ思想の究極・完成」という二重の意味を持っています。

ヴェーダーンタの中心問題は、ブラフマン(宇宙の究極原理)とアートマン(自己の本質)です。そして、アートマンとブラフマンの関係は何か、という問題が大きなテーマになります。
ヴェーダーンタの基本となるのは、ウパニシャッド、『ブラフマ・スートラ』、『バガヴァッド・ギーター』です。これらは後に、三つの根本聖典(プラスターナ・トラヤ)として重視されます。
ヴェーダーンタと聞いて特に有名なのが、シャンカラの「不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)」です。シャンカラによれば、究極的な実在はただ一つ、ブラフマンです。個人の自己(アートマン)とブラフマンは、本質的には別のものではありません。したがって、アートマン=ブラフマンという認識が解脱につながります。世界の多様性は、究極的な意味では無知(アヴィディヤー)によって生じたものとして説明されます。
ただし、ヴェーダーンタといっても、一つの哲学だけではありません。後には、シャンカラの不二一元論、ラーマーヌジャの限定不二一元論、マドヴァの二元論など、さまざまな体系が生まれました。
したがって、ヴェーダーンタは一つの思想というより、ウパニシャッド解釈を中心として発展した大きな哲学伝統と考える方が正確です。
ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派との姉妹関係は、伝統的には、前期ミーマーンサー(プールヴァ・ミーマーンサー)と、後期ミーマーンサー(ウッタラ・ミーマーンサー=ヴェーダーンタ)という関係としても理解されます。
ヴェーダの祭式を研究する前期ミーマーンサーと、ヴェーダの究極的哲学を研究するヴェーダーンタという対照をなしています。
仏教との関係
最後に、六派哲学と仏教との関係を見ておきたいと思います。
インド仏教の論師たちは、こうした正統派哲学と論争しながら自らの思想を発展させました。
特に重要なのは、
- サーンキヤのプルシャ・プラクリティ二元論
- ニヤーヤの認識論・論理学
- ミーマーンサーの言語論・ヴェーダ権威論
- ヴェーダーンタのアートマン・ブラフマン思想
であるとされます。
仏教の立場からすれば、とりわけ大きな対立点は、永続的な自己(アートマン)を認めるか、という問題でした。仏教は基本的に、無我(anātman)を説きます。これに対して、多くの正統派インド哲学は何らかの形で、アートマン、プルシャ、常住する認識主体を認めます。この点は、仏教哲学とインド正統派哲学を分ける重要な思想的対立軸の一つです。
ただし、ここで一つ注意すべきなのは、「六派哲学」という区分そのものは、インド思想史の非常に複雑な思想的実態を、後世の伝統的分類によって六つに整理したものだということです。実際のインド思想界には、六派以外にも多数の学派・思想潮流が存在しました。
したがって「六派哲学」は、インド哲学のすべてを六つに分類したものではなく、ヴェーダの権威を認める正統派哲学の代表的な六体系として理解するのが適切です。
参考文献

貝塚茂樹編『思想の歴史2 春秋戦国と古代インド』




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