法華経の思想

楠龍造『龍樹の仏教観』のサポートページ企画です。今回は法華経について解説します。

法華経は、「諸経の王」と称されるなど、大乗仏教における最重要経典のひとつです。なぜ法華経がそれほどまでに重要視されるのか、特に法華経が内包する思想に着目して述べていきたいと思います。

法華経前史:小乗から大乗へ

法華経の思想に背景には、大乗仏教の成立が深く関わっています。部派仏教では悟りをひらいた人のことを「阿羅漢」と呼んでいました。阿羅漢とは仏の十号のひとつで、元来は仏と同じ意味なのですが、いつしか釈尊が別格の扱いとなり、部派仏教の高僧たちを阿羅漢と呼ぶようになりました。部派仏教の感覚では同時代に仏が複数いることはなく、釈尊を除けば過去に六仏が存在したのみだと考えました。

一方で、大乗仏教は、阿羅漢を単に修行者の中の最上位者と捉え、これとは別格の「菩薩」という概念を取り入れます。菩薩という言葉は部派仏教でも使われていたのですが、これは悟りをひらく前の釈尊のことか、あるいは56億年後に如来になることが確定している弥勒菩薩を指す言葉でした。大乗ではこの菩薩を、記別を授かり(授記)、将来、仏になることが約束された存在という意味で用いました。

つまり、「仏になるのは菩薩であり、声聞(仏弟子)の最高位は阿羅漢である」という部派仏教の考えを逆手にとって、大乗仏教は自らを、菩薩になり、そしてやがて仏になれる教えであるとしたのでした。この大乗の教えは「菩薩乗」、すなわち菩薩は仏になることが約束されているのだから「仏乗」であり、小乗の教えはどこまで行っても阿羅漢止まりで仏になることができない「声聞乗」であると難じたのでした。

これに加えて、縁覚乗(独覚乗)というものがあります。これは縁覚(独覚・辟支仏)と呼ばれる、師を持たずに悟りをひらいた人の教えですが、大乗では縁覚乗も声聞乗と同じく劣ったものと考えました。縁覚は、通常の部派仏教の人々と異なり、僧伽(サンガ)に属さず、一人ないし小集団で修行を続ける人々で、小乗の一種と言えます。

※便宜上、本稿では「小乗」という言葉を用いますが、これは飽くまで大乗による貶称であり、ここで優劣を断定しようとするものではありません。むしろ仏教史的には正統派といったほうが正確かもしれません。

小乗の中の差別思想

大乗がこのような批判を向けた一因は、部派仏教にある種の差別思想があると考えられたからでした。ブッダの教えはすべての人に開かれたもののはずでしたが、部派仏教においてはそれが硬直化し、出家者(比丘・比丘尼)と在家者(優婆塞・優婆夷)との間の差別、なかんずく、男性出家者(比丘)とそれ以外との差別が顕在化し、かつまた、男性出家者は自己修練にのみ捕らわれ、大衆救済に無関心であると考えられたのです。

しかし他方で、大乗は、その小乗批判が勢い余って(?)、大乗=菩薩乗と違って、声聞乗と縁覚乗という二乗は、どう頑張っても悟れないのだという、また別の差別思想を持つようになりました。この考えを三乗思想といいます。

余談ながら、三乗という言葉は部派仏教においても用いられていたもので、発祥は説一切有部であるとも言われます。部派仏教における三乗は、仏乗・声聞乗・縁覚乗の3つですが、大乗では仏乗=菩薩乗とし、部派仏教を仏乗から排除しました。

法華経の革新

しかしながら、大乗こそが真の仏乗と言うならば、なぜブッダは初めから大乗を説かなかったのかという疑問が生じます。これに対し、法華経は、三乗は飽くまで方便として存在するのであり、本来はすべての人に悟りの可能性があるのであって、究極的にはすべて菩薩乗に回収されるものであり、結局のところ、初めから一乗(一仏乗)しかないのだという一乗思想をもって応えたのでした。

この三乗思想と一乗思想との対立が、日本で論争へと発展した事件として、徳一と最澄との間で交わされた三一権実論争があります。詳しくは本連載の「三一権実論争とは何か」を参照してください。

法華経では、こうした方便として三乗があったのだということを、「三車火宅の譬え」によって説明します。それは次のようなものです。

ある長者の邸宅が火事になりますが、邸内にいる三人の息子たちは遊びに夢中で避難しようとしません。そこで長者は、三人の息子それぞれが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよと言って、息子たちを家の外に誘い出します。果たして三人の子供たちが門の外に出てみると、そこには白牛の車(大白牛車)がありました。

この譬えは、火事が煩悩に囚われた生を意味し、羊の車、鹿の車、牛の車が、それぞれ声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗を意味します。そして門外の白牛の車が一仏乗を意味しています。

ところで、長者が最初に言った牛の車と、最後に出てきた白牛の車は同じものなのでしょうか。つまり菩薩乗と一仏乗は同じものを意味しているのでしょうか。これについては、中国仏教で古くから解釈が分かれ、同じものとする三車家と、別のものとする四車家の対立があります。

三車家と四車家

三車家の代表が、三論宗の嘉祥大師吉蔵や法相宗の慈恩大師基(窺基)であり、四車家の代表が、光宅寺法雲や天台大師智顗、華厳宗の法蔵です。

鳩摩羅什訳の法華経では「ただ一乗の法のみ有り。二も無くまた三も無し」という記述があり、三車家はこれを「第二」と「第三」の乗がない、と解釈しますが、四車家は、「二乗」も「三乗」もないと解釈します。

三車家は(三つの内)第一の乗(=菩薩乗=一仏乗)のみがあり、第二や第三の乗はないと読みます。これに対し、四車家は、一仏乗のみがあり、これ以外に乗が二つあるのでも三つあるのでもないと読みます。サンスクリット原典を参照すると、三車家の解釈が正しい、ということになるそうですが、四車家の解釈を支持する見解も根強くあります。

法華経をサンスクリット原典から翻訳した植木雅俊もその一人です。植木は「ただ一乗の法のみ有り。二も無くまた三も無し」の「二」と「三」が「第二」と「第三」の意味であるという点では三車家の解釈の方が正しいとします。しかし、三車家は、「第二」を声聞乗、「第三」を縁覚乗というように具体的に対応させるのですが、ここでの意図は、一仏乗の唯一性を強調することであり、「~があるのみで、第二のものは存在しない」という表現は、法華経に限らず、サンスクリット文献や原始仏典でよく用いられるレトリックであるといいます。

また、「ただ一乗の法のみ有り。二も無くまた三も無し」の直後には、「〔ただし〕佛の方便の説を除く」と続くのであり、三乗は方便としては存在しているのであるが、真実としては一仏乗しかないという意味に読み解きます。

このことは法華経の革新性と合致します。小乗批判から生まれた大乗において、その大乗の革新者として現れた法華経は、大乗でありながら大乗でないともいえます。それまでの大乗が牛車であり、法華経は大白牛車であるという読み方には一定の説得力があるように思われます。

久遠実成の仏

「なぜブッダは初めから大乗を説かなかったのか」という疑問と似たようなものとして、ブッダは35歳で悟りをひらき、80歳で入滅するまで40数年間しかないのに、数多の菩薩を強化できたのかという疑問があります。

これに対して法華経は、ブッダは遥か昔の過去世において、何度も仏となって数多の菩薩を教化してきたのだといいます。この遥か昔に悟りをひらいていたということを久遠実成といいます。この久遠実成の仏と、80歳で入滅したブッダという仏の二重性は、のちの三身論の形成に大きな影響を与えます。

華厳経の盧舎那仏は、三身論における〈法身〉に合致しますが、法華経の久遠実成の仏は不確定的です。久遠実成の仏は、三身論成立以後においては、永遠性において〈法身〉的ではありつつも、人格を有する点などにおいて〈報身〉に位置づけられました。

そもそも三身論は、〈色身〉と〈法身〉からなる二身論から、その中間に〈報身〉を加えて、〈応身〉〈報身〉〈法身〉として成立したものと考えられます。

ところで、先に述べた二重性、久遠実成の仏と歴史上の釈迦牟尼というブッダの二重性は、法華経の個性を如実に示すものに思われます。というのは、法華経には、仏塔信仰と経巻受持というふたつの考えを内包しており、そこに同様の二重性が垣間見えるからです。仏塔信仰とは、ブッダの遺骨を納めた仏塔(ストゥーパ)に対する信仰で、他方、経巻受持とは、経典(ブッダの教え)に対する信仰です。経典はチャイトヤという、これまた一種の仏塔に祀られるものです。法華経では比較的前半部で仏塔信仰を説き、後半部で経巻受持を説くため、ストゥーパからチャイトヤへ、すなわちブッダ個人に対する崇拝からブッダの教えに対する崇拝への変化ともとれます。

しかし他方で、仏塔信仰=ブッダ個人に対する崇拝には、入滅したブッダに代わる救済者として、弥勒や、阿弥陀や盧舎那仏など、多種の仏・菩薩へと信仰を拡大していくことに対する批判、釈迦仏信仰への原点回帰を表現したものでもあります。

法華経の基本情報

ここで改めて、法華経の基本情報を確認しておきたいと思います。法華経のサンスクリット原題は、サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(Saddharma-puṇḍarīka-sūtra)といい、直訳すると「白蓮華のような正しい教え」の経典となります。「白蓮華のような」とは、白蓮華が「最も勝れた華」とされることにちなむもので、すなわち「白蓮華のように最も勝れた正しい教えの経典」というのが原義ということになります。

竺法護はこれを「正法蓮華経」と訳し、鳩摩羅什は「妙法蓮華経」と訳しました。

法華経の成立と構成

法華経は1世紀から3世紀ごろ、西北インドで編纂されたと推定されています。各品の成立時期にはズレがあると考えられ、諸説ありますが、大きくは、「如来神力品第二十一」までが古い時期の成立であり(ただし「提婆達多品第十二」を除く)、残りの七品が後世の付加と考えられています。

「嘱累品第二十二」は、元々、ここで法華経が終わっていたものが、後から六章が追加され、さらにのちになって、嘱累品は通常は経典では最後に来るものだということから一番うしろに回されることになったのですが、鳩摩羅什の訳した底本は、まだ最後に回される前のものだったようです。

「提婆達多品第十二」は、古い写本には存在していないことや、内容的に「見宝塔品第十一」と「勧持品第十三」が直接的な連続性を持つこと、また漢訳の妙法蓮華経でもこの部分だけは鳩摩羅什の訳でないとされることなどから、後代の挿入とするのが有力です。

なぜ「提婆達多品」が挿入されたのかははっきりしませんが、この品が原始仏教教団の反逆者とされるデーヴァダッタと、女人成仏について書かれていることから、法華経の万人成仏の考えに基づき、悪人(デーヴァダッタ)でも、女性でも仏になれるのだということを補強するために挿入されたとされます。

ただ、デーヴァダッタについては、これほどの悪人でも仏になれる、というよりも、名誉回復的な側面が強く、法華経徒たちが、デーヴァダッタにシンパシーを抱いていた可能性も否定できません。

というのも、デーヴァダッタは原始教団内の原点回帰派であり、にもかかわらず、異端派として排除されたらしきことが伺われ、これが法華経徒が置かれた状況に類似的だからです。

誰が法華経を広めるか

「勧持品第十三」では、「ブッダの入滅後、誰が法華経を弘法するのか」という問いかけに、多くの者が名乗りを上げるのですが、彼らは一様に、「この世界(娑婆世界)以外で」と言います。なぜみな、この世界での弘法を避けたがるのでしょうか。それにはどうも当時の法華経徒が置かれた状況が関係しているようです。仏弟子たちはブッダに弘教の意気込みを語りますが、現況への恨み節のようにも思えます。

恐ろしき世、悪世に われらは〈法華経〉説き弘む。
無知なる人がいて 悪口わるぐち罵言ののしり浴びせかけ
そして刀杖加うとも われらはまさに忍ぶべし。
〔……〕
それでわれらを攻撃し
こんな言葉を吐くだろう。 『この人たちは悪い奴
利欲を貪るそのために 外道の教えを宣伝し
おかしな経典をつくっては 世間の人をたぶらかし
名聞みょうもん求めるそのために 〈法華経〉なる経、捏造ねつぞうす』

(ひろさちや『法華経』日本語訳)

ここで語られていることが、まさに初期法華経徒、法華経編纂者たちが当時、置かれた状況を表していると思われます。

おそらく大乗仏教の勃興期にあって、既成教団の中で法華経徒は、異端視され、迫害され、その思想は「外道の論議」、偽経として蔑まれたのでした。

法華経は「有」の思想

楠龍造『龍樹の仏教観』では、インド仏教に「有」と「空」の二大思潮があることを指摘しています。そこで法華経の名前は上がっていませんが、法華経はこのうち「有」の思想に属するものとされます。

仏教思想を空の系統と有の系統とに分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。法華経の前半の「一乗」の思想にしても、後半の「仏身常住」の思想にしても、「実在」に立脚する思想である。そこにはまだ「仏性」が明確に打ち出されてはいないが、発展すればこの思想になっていくものと考える。〔……〕法華経が有の立場に立つことは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度である。〔……〕もちろん「空」は大乗仏教の基本的な教理であるから、法華経においても肯定的に取り扱われている。しかし空を基調にして、教理を展開しているとまでは言えない。そのことは、般若経や維摩経等の空の取り扱いと、法華経とを比較してみれば明らかである。

平川彰「I 大乗仏教における法華経の位置」『講座・大乗仏教4 法華思想』所収

法華経が「有」の思想であるのに対し、般若経典群は「空」の思想の代表です。これに加え、華厳経系や初期浄土経典、さらにやや時代が下ると如来蔵経典などが、初期大乗における思想的な競合関係にあったようです。

ただし競合関係と言っても、現代の宗派のような独立した組織が並立していたというわけではなく、異なる経典を受持・読誦する集団や信仰ネットワークが重なり合いながら存在し、相互に影響を与え合っていたと考えられています。

各派は自らを「最勝」や「難信」などと称賛しつつも、他派への言及は少なく、その中では法華経は特に競合意識が強いと言えるかもしれません。

龍樹と法華経

龍樹は『大智度論』において、三十数ヶ所にわたって法華経を引用しています。『大智度論』は『大品般若経』の注釈書ですから、法華経とは別系統に属するもののはずです。しかも「法華経の諸経には、阿羅漢も決を受けて仏とると説けり」(受決作仏)として、法華経の二乗作仏(二乗も仏になれる)の思想を好意的に取り上げています。

さらに興味深いことに、唐の僧祥(慧祥)による『法華伝記』巻第一「論釈不同第五」には「真諦三蔵云く」として、インドには法華経を注釈する者が五十余家おり、その一人として、龍樹には『法華論』という著作があった(が唐には伝わらなかった)と述べられています。

しかし当該著作は現存しておらず、また、真諦の現存著作にも記述がなく、三論宗の吉蔵や天台智顗なども言及していないことから、龍樹の『法華論』の存在は疑問視されていますが、インドにおける法華経注釈が「五十余家」に及んでいたとしたら、(世親の『法華論』を除いて)初期法華経注釈の大半が失われた可能性もあります。

参考文献

植木雅俊『思想としての法華経』

植木雅俊『法華経とは何か その思想と背景』

植木雅俊『NHK「100分de名著」ブックス 法華経 誰でもブッダになれる』

植木雅俊・橋爪大三郎『ほんとうの法華経』

平川彰 編『講座・大乗仏教4 法華思想』

ひろさちや『〈法華経〉の世界』

ひろさちや『〈法華経〉の真実』

ひろさちや『〈法華経〉の世界』

龍樹の仏教観-詳細

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