ミル存命中の歴代イギリス政権

『功利主義論』サポートページ企画です。今回は、ミル存命中(1806年から1873年まで)のイギリスの政権(内閣)を、首相と在任期間で整理します。ミルが生きた時代の政治背景をつかむのに有用です。

ミルはグレンヴィル卿内閣の時に生まれましたが、その前には、ウィリアム・ピット(小ピット)が長く政権を担っていました。18世紀前半はホイッグ寡頭制(Whig Supremacy)とも呼ばれるホイッグ優勢時代でしたが、党内が諸派に分裂し、弱体化していきます。これに対し、トーリは小ピット登場以降、勢力を強めていきます(小ピットは「独立したホイッグ」を自称しましたが、後世ではトーリ系に位置づけられます)。1806年、その小ピットが病気のために亡くなると、後継者となったのがグレンヴィル卿でした。

1806–1807:グレンヴィル卿内閣

  • 首相:ウィリアム・グレンヴィル卿
  • 在任:1806年2月11日 – 1807年3月31日
  • 小ピット没後、挙国一致を目指し、党派を超えて人材が集められたことから「全人材内閣」(Ministry of All the Talents)と呼ばれました。
  • 奴隷貿易廃止(1807年)を実現。

1807–1809:ポートランド公内閣

  • 首相:第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
  • 在任:1807年3月31日 – 1809年10月4日
  • ナポレオン戦争期。ワルヘレン遠征の失敗などで支持を失います。

1809–1812:スペンサー・パーシヴァル内閣

  • 首相:スペンサー・パーシヴァル
  • 在任:1809年10月4日 – 1812年5月11日
  • 英国史上唯一暗殺された首相。

1812–1827:リヴァプール伯内閣

  • 首相:ロバート・ジェンキンソン(第2代リヴァプール伯)
  • 在任:1812年6月8日 – 1827年4月9日
  • 長期政権。ナポレオン戦争終結、保守的反動、穀物法制定、ピータールーの虐殺などを経験。
  • 後期にはカニングやピールなどトーリ党内の自由主義派を閣僚に登用します。

1827:カニング内閣

  • 首相:ジョージ・カニング
  • 在任:1827年4月10日 – 1827年8月8日
  • トーリ党内の基盤が弱かったため、ホイッグ党穏健派と連立。
  • 外交手腕に優れた首相でしたが、就任数か月で死去。
  • のちに首相となるメルバーン子爵やパーマストン子爵など、カニング派と呼ばれた人々がホイッグ党で活躍します。

1827–1828:ゴドリッチ子爵内閣

  • 首相:フレデリック・ロビンソン(初代ゴドリッチ子爵)
  • 在任:1827年8月31日 – 1828年1月21日
  • カニング派の一人。短命政権。
  • 首相退任後はホイッグ党に移籍。その後、ダービー派→保守党→ピール派を渡り歩きます。

1828–1830:ウェリントン公内閣

  • 首相:アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン公)
  • 在任:1828年1月22日 – 1830年11月16日
  • カトリック解放法(1829年)成立。しかしこれに反発した右派のウルトラトーリの一派が離脱し、トーリ政権の基盤を揺るがせます。

1830–1834:グレイ伯内閣

  • 首相:チャールズ・グレイ伯爵
  • 在任:1830年11月22日 – 1834年7月16日
  • 半世紀ぶりのホイッグ主体の連立政権。
  • 第一次選挙法改正(1832年)を成立させ、近代議会制の基盤を築きます。
  • 救貧法、地方自治体法など、自由主義的な社会改革を進めます。

1834:メルバーン子爵内閣(第1次)

  • 首相:ウィリアム・ラム(メルバーン子爵)
  • 在任:1834年7月16日 – 1834年11月14日
  • 国王ウィリアム4世と人事案をめぐって対立し解任されます。
  • 以後、保守党のピールとの政権の奪い合いが繰り返されます。

1834–1835:ピール内閣(第1次)

  • 首相:サー・ロバート・ピール
  • 在任:1834年12月10日 – 1835年4月8日
  • ジャガイモ飢饉のため、代替としてトウモロコシを輸入しましたが、次のホイッグ政権で自由主義の名の下に打ち切られてしまいます。
  • 少数派政権で持たず、短期間で総辞職。

1835–1841:メルバーン子爵内閣(第2次)

  • 首相:ウィリアム・ラム(メルバーン子爵)
  • 在任:1835年4月18日 – 1841年8月30日
  • ヴィクトリア女王即位期の首相。女王の寵愛を受け、宮廷と緊密な関係を築きます。

1841–1846:ピール内閣(第2次)

  • 首相:サー・ロバート・ピール
  • 在任:1841年8月30日 – 1846年6月29日
  • 穀物法廃止(1846年)を野党ホイッグの協力を得て実現しますが、保守党内でスタンリ男爵(のちダービー伯爵)ら保護貿易派と対立、党内分裂を招きます。

1846–1852:ラッセル卿内閣(第1次)

  • 首相:ジョン・ラッセル卿
  • 在任:1846年6月30日 – 1852年2月21日
  • 自由貿易を推進、教育改革に着手。
  • 保守党分裂を受けて成立したホイッグ政権ですが、ホイッグも党内に対立を抱えており、イギリス政治の混迷期が続きます。
  • ラッセル卿は、哲学者のバートランド・ラッセルの祖父に当たります。ミルはバートランドの名付け親です。

1852:ダービー伯内閣(第1次)

  • 首相:エドワード・スミス=スタンリー(第14代ダービー伯)
  • 在任:1852年2月23日 – 1852年12月17日
  • 少数派政権、短命。

1852–1855:アバディーン伯内閣

  • 首相:ジョージ・ハミルトン=ゴードン(第4代アバディーン伯)
  • 在任:1852年12月19日 – 1855年1月30日
  • ホイッグ内でラッセル卿とパーマストン子爵の争いがあったため、首相が選出できず、ピール派(独立会派)の領袖となっていたアバディーン伯が就任。
  • ピール派+ホイッグ+急進派からなる連立政権。
  • クリミア戦争開戦。戦争遂行をめぐる批判で辞職。

1855–1858:パーマストン子爵内閣(第1次)

  • 首相:ヘンリー・ジョン・テンプル(第3代パーマストン子爵)
  • 在任:1855年2月6日 – 1858年2月20日
  • クリミア戦争終結、インド大反乱勃発。

1858–1859:ダービー伯内閣(第2次)

  • 首相:ダービー伯
  • 在任:1858年2月20日 – 1859年6月11日
  • 東インド会社統治を廃し、インド直轄統治を開始。

1859–1865:パーマストン子爵内閣(第2次)

  • 首相:パーマストン子爵
  • 在任:1859年6月12日 – 1865年10月18日
  • 離合集散を繰り返していたホイッグ、ピール派、急進派がまとまり、自由党を結成。パーマストンが初代党首となり、首相となります。
  • 1865年10月の選挙で自由党が保守党に大勝しますが、選挙直後に首相が急逝。
  • この選挙でミルが下院議員に当選しました。

1865–1866:ラッセル伯内閣(第2次)

  • 首相:ジョン・ラッセル伯爵(伯爵位に昇叙)
  • 在任:1865年10月29日 – 1866年6月26日
  • 自由党政権ですが、党内分裂のため、第二次選挙法改正案が否決され、辞職。

1866–1868:ダービー伯内閣(第3次)

  • 首相:ダービー伯
  • 在任:1866年6月28日 – 1868年2月25日
  • 保守党政権。党内の反対派を抑え込んで、第二次選挙法改正(1867年)を成立させます。
  • この改正を機に、保守・自由両党は全国的な組織化を進め、近代政党制が確立していきます。

1868:ディズレーリ内閣(第1次)

  • 首相:ベンジャミン・ディズレーリ
  • 在任:1868年2月27日 – 1868年12月1日
  • ダービー伯の引退を受け、党首と首相を継承します。
  • 短期間の保守党政権。
  • 次のグラッドストンとともに19世紀後半のイギリス政党政治を代表する政治家となります。

1868–1874:グラッドストン内閣(第1次)

  • 首相:ウィリアム・グラッドストン(William Ewart Gladstone)
  • 在任:1868年12月3日 – 1874年2月17日
  • ラッセルの引退を受け、自由党党首を継承。
  • 教会改革、教育法(1870)、アイルランド土地法(1870)などリベラル改革を推進。

このように、ミルはグレンヴィル卿からグラッドストンまで20回以上の内閣交代を経験しています。改革法案・穀物法廃止・選挙権拡大といった政治的大改革が目白押しの時代で、ミルの政治思想や議会活動と深く結びついています。

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