龍樹の仏教観-詳細

電子書籍

龍樹の仏教観

楠龍造 [著]

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明治の若き学僧による龍樹入門 完全復刻!
「仏教史上最大の論師」、「第二のブッダ」、「八宗の祖」などと称される大乗仏教中観派の開祖・龍樹(ナーガールジュナ)。その深遠にして難解極まる「空」の思想を、若き学僧が読み解く。インド哲学、中国仏教、最澄、親鸞などの思想と論点を縦横無尽、融通無碍に渉猟し、龍樹の仏教哲学の全貌を概観する。

原著は明治33年刊。著者の楠龍造(和田龍造)は、明治の宗教哲学者・清沢満之に師事し、後に真宗大学(現在の大谷大学)の教授となる仏教学者。廃仏毀釈による荒廃から近代仏教を再興せんとする清沢の「精神主義」に共鳴し、仏教の学究に努めた。本書を一読すれば、明治知識人の博覧強記、博学篤志に驚嘆させられることであろう。

誤植訂正、新字新かなで、より読みやすく
本書では底本の誤字脱字衍字の修正はもとより、閲読の便のため、難読漢字へのふりがな、新字新かなへの変更、読み下し文の追加などの編集を施した上、主に仏教用語について註記で解説しています。

【境野哲(黄洋)による「新刊批評」抜粋】

「本書はインドの二大思潮たる、有論・空論の対峙変遷を明らかにせんため、まず龍樹菩薩の空論を研究して、その系統的叙述を試みたるものなり。章を分かつこと十五、まずインド仏教変遷の大要を述べて、龍樹のインド仏教上の位置を明らかにし、その空論と有論と対比して、龍樹の学説と馬鳴の『起信論』との差異を説き、以て龍樹の伝記に及び、無宇宙論の基礎より進んで小乗と空論、密教と空論、他力教と空論、空論の内容実義、ならびに龍樹の大小乗区別、経典の分類、その神通論、涅槃論、仏陀論など諸種の方面よりこれを討尋し、菩薩修行の道程に至りてその筆を措けり。また学者の一読すべき好著なり。」(『新仏教』第1巻第5号)

目次
凡例
序〔吉田賢龍による序文〕
序言
第一章 インド仏教史上における龍樹の地位
第二章 「空」「有」二潮流の根本的差異
第三章 龍樹の性行
第四章 無宇宙論の基礎
第五章 業感縁起と空論の関係
第六章 「空」論と密教および他力教の関係
第七章 龍樹の他力教
第八章 八不の意義
第九章 真俗二諦《上下》
第十章 龍樹の大小乗区別
第十一章 経典の分類
第十二章 龍樹の神通論
第十三章 龍樹の涅槃論
第十四章 龍樹の仏陀論
第十五章 修行の過程
奥付


ファイル形式:EPUB(リフロー型)

解説記事を連載中!

当サイトのブログにて『龍樹の仏教観』の前提となる知識や
深堀りした内容を解説しています。

『龍樹の仏教観』サポートページ

こんな内容を扱っています
清沢満之とは誰か?|近代仏教/明治仏教とは?|廃仏毀釈とは?|ブッダの名称、出生年代、活動地域|十大弟子と仏典結集|須弥山世界と仏教宇宙観|龍樹と中観派|仏の階層と金剛手薬叉について|龍樹と南京鉄塔…etc

今後も随時更新予定!

楠龍造『龍樹の仏教観』

明治仏教 ✕ 中観仏教

~明治の学僧は「空」の思想を
如何に読み解いたか~


本書『龍樹の仏教観』は、明治33年(西暦1900年)に、楠龍造が公刊した書籍の復刻版で、龍樹の思想の全貌を概観しようとする意欲的な入門書です。

しかし、なぜ、わざわざ120年以上も前に出版された本で龍樹について学ぶのでしょうか? もっと最近書かれた本ではダメなのでしょうか? この本を読む意義とは何なのでしょうか?

それは、この本には類書にない特色・魅力があるためです。

そもそも龍樹とは誰か?

龍樹(ナーガールジュナ)は2世紀頃の古代インドで活躍した仏僧で、「仏教史上最大の論師」、「第二のブッダ」などとも称される、仏教史上の最重要人物です。

特にその主著『中論』は、「空」(くう)の思想を理論付けたものとして、後の仏教哲学、教理学に多大な影響を与えました。

洋の東西を問わず哲学に関心のある向きならば、一度は挑戦してみたい著作なのですが、その内容は、高度に抽象的、哲学的、思弁的であり、安易な理解を拒む非常に難解な理論書になっています。

特に西洋哲学に慣れ親しんだ方にとっては、独特の術語や思考法に面食らうことでしょう。

ナーガールジュナ(三百尊図像集)
ナーガールジュナ(チベット所伝)

龍樹と「南無阿弥陀仏」

​龍樹は、「八宗の祖」とも称されるほど、後の仏教教理に広範な影響を与えたのですが、影響を受けたうちの一人が、浄土真宗の親鸞です。

​親鸞は、龍樹を七高僧の第一に掲げます。

​ここでひとつ疑問なのが、徹底的に理知的な龍樹の思想が、南無阿弥陀仏と唱えるだけで成仏できる(仏になれる)と説く(ある意味では非論理的な)阿弥陀如来信仰へと、いかなる影響を与えたのか、ということです。

単に賢そうな龍樹の名を借りて権威付けしたかっただけなのか、はたまた龍樹の理詰めの思想からの知的堕落に過ぎないのか。

おそらくキーワードは、本書で幾度も言及される他力教なのですが、果たして龍樹と他力教はいかなる関係にあるのか。真宗の僧でもあった著者にとって重要な問題であったことは想像に難くありません。

明治知識人の凄み

​『明治仏教史概説』によれば、廃仏毀釈の時代を経て、明治29年から明治38年までは「研究旺盛各宗融和の時期」とされます。

『龍樹の仏教観』の中でも、仏教のさらなる学究の必要が説かれており、この本もまた、その役割を担っていたといっていいでしょう。

本書を一読して驚くべきは、明治知識人の博覧強記ぶりです。様々な経典を縦横無尽に行き来したかと思えば、バラモン教の六派哲学から、中国仏教、最澄、親鸞、果てはカーライルに、ロッツェと、その研究熱心ぶりに舌を巻きます。

吉田久一『清沢満之』(吉川弘文館)より

著者の痛快な物言い

本書のおもしろみのひとつに、著者の実直で直截な物言いがあります。

例えば、龍樹が海中にあるという龍宮や、南天鉄塔において秘密曼荼羅を得たとする『秘密曼荼羅付法伝』の記述について、「その何らの歴史的根拠あるやを知る能わざるなり」といいます。

あるいは龍樹の涅槃論を大見識としつつも、「しかしその涅槃の性質を論ずるにあたり、単に論理の一法により、しかもやや詭弁に近く、また消極的・遮情的に止り、人をして茫然たらしむるの感あるは、甚だ惜しむべきにあらずや」と評しています。

他方で、神通奇跡を虚妄と切って捨てたり、「三十七品の道品」や「五十二の階級」といった、やたらと数目を積み上げる仏教の様式を無意義と断ずべきでないとし、その意義を研究すべしとするところは、彼が浅薄な「実証主義」に陥らず、正しく学究の徒であったことを示しています。

「もとより誇張的にいわれ、神秘的にいわれ、一見如何わしき感を与うるは、仏書文体の常なりといえども、精密にこれを研究せば、ある意義と価値を有することは疑うべからず。これらの品数名目決して無意味無価値のものにあらざるなり」

龍樹についての概説書

とはいえ、120年以上も前の本。研究も進んでおり、今更、読む価値があるのでしょうか? 類書には優れた学者の優れた著作が複数あります。

中村元
『龍樹』

「空観を哲学的・理論的に基礎づけ、大乗仏教の思想を確固たるものにしたのが龍樹(…)である」

瓜生津隆真
『龍樹 空の論理と菩薩の道』

「ナーガールジュナ(…)は大乗仏教の大成者であり、インド仏教においては釈尊につぐ最大の論師として尊敬されている」

石飛道子
『龍樹 あるように見えても「空」という』

「龍樹以降の仏教で、龍樹を通らずに歩みを進めてきた仏教は一つもないといってもいいのではないだろうか」

いずれも龍樹について知りたい人にとって必読の入門書・概説書です。本書とともに一読されることをおすすめします。

類書にない特色とは?

本書も類書同様に、龍樹の「空」の思想の解説に多くの紙幅を費やしていますが、本書に特徴的なの要素のひとつは、密教や他力教との関係に言及しているところでしょう。

このことは、龍樹の思想が、インドから中国へ、中国から日本へと伝わった受容の軌跡を追うことにもなります。さらにはその背後に、明治仏教の置かれた状況をも感じ取ることが可能でしょう。

明治仏教を通して中観仏教を学ぶ、ということが本書のひとつの魅力であり、利点でもあります。

また、本書に登場する仏教用語の数々は、そこから仏教思想や教理学への入口にもなりうるものと考えます。そのため、簡潔にではありますが、この復刻版では、仏教用語を中心に、註記で解説しています。​

大智度論、十住毘婆沙論などにも言及

類書においてまったく触れられていないということはないのですが、『大智度論』や『十住毘婆沙論』への論及が多いというのも、本書の特徴のひとつと言えるかもしれません。

両著は、漢訳時などに手が加えられており、龍樹の真作ではないという説もあるのですが、龍樹研究において無視できない重要文献です。仏教の百科全書的性格を持つとされる『大智度論』は、先にも述べたような、広く仏教思想を学ぶ入口にもなりうるものです。

他方、『十住毘婆沙論』は、大乗菩薩道を説く実践論で、理論や教理という面で注目されやすい龍樹において、また別の重要性を持つものです。

無料で読めるのに?

ところで、実は、楠龍造『龍樹の仏教観』は、120年以上前の本ということもあり、国立国会図書館のデジタルコレクションで、誰でも無料で読むことができます。

しかしながら、旧字旧かなで書かれている上に、誤植も多く、経典からの引用も返り点付きの漢文のみで、仏教用語への解説もないため、とても読みやすいとは言えません。

上記に抜粋した境野哲(黄洋)による「新刊批評」(『新仏教』)では、抜粋しなかった部分で、次のように述べています。

「ちなみに本書活字誤植の甚だ多く、特に梵語原名においてその甚だしきを見るはひとつの欠点なりといふべし」

この復刻版では、サンスクリット語表記の校正はもとより、その他、種々の誤植誤記、誤字脱字衍字の修正も行い、より読みやすくなっています。

次の画像は、底本において、『大智度論』で言及されている経典名を列挙した部分の一部です。

『龍樹の仏教観』底本90頁より。

誤植、脱字に加え、重複している部分や、経典名が区切れていない部分もあります。また、基本的に『大智度論』での出現順に、ほぼ並んでいますが、一部前後しています。

画像をクリックするとポップアップ表示されます

本書では引用されている経典の出典(巻数)の明記に加え、読み下し文を追加しています。また、すべてではなく、ごく一部だけではありますが、現代語訳を追加している部分もあります。

ちなみに、経典は、一部例外を除いて、大正新脩大蔵経から引用しています。

当時の書評

境野黄洋「新刊批評」『新仏教』(第1巻第5号)

龍樹の仏教観

楠 龍造著 為法館発行

本書はインドの二大思潮たる、有論・空論の対峙変遷を明らかにせんため、まず龍樹菩薩の空論を研究して、その系統的叙述を試みたるものなり。章を分かつこと十五、まずインド仏教変遷の大要を述べて、龍樹のインド仏教上の位置を明らかにし、その空論と有論と対比して、龍樹の学説と馬鳴の『起信論』との差異を説き、以て龍樹の伝記に及び、無宇宙論の基礎より進んで小乗と空論、密教と空論、他力教と空論、空論の内容実義、ならびに龍樹の大小乗区別、経典の分類、その神通論、涅槃論、仏陀論など諸種の方面よりこれを討尋し、菩薩修行の道程に至りてその筆を措けり。また学者の一読すべき好著なり。著者はなお、これより、さらに無著、世親、堅慧、陳那以下、古哲の研究に移らんことを予告せり。われらは著者が一層の進境に入り、その成効の時あるを希(こいねが)うものなり。ちなみに本書活字誤植の甚だ多く、特に梵語原名においてその甚だしきを見るはひとつの欠点なりといふべし。

中村生「寄贈新刊」『東京評論』(第3号)

龍樹の仏教観

楠龍造著
為法館発行

龍樹の仏教観、これ最大最難にして最も有益なる問題なり。楠龍造君この問題解釈の先鋒としてこの書を著し、空観を以て龍樹の本領と断定す。論ずるところ、まま首肯すべからざるものありといえども、要するに嶄新と比較的公平とを失わず、易行品にあらわれたる他力教、憒々者流の迷執を撹破して特に公平明快なるを覚ゆ。欲をいえば、龍樹の称名とインド人の音声神聖観の関係、今少し詳密に取り調べられたかりしと、印刷の誤謬に注意されたきとのふたつなり。(中村生)

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