弥勒とは何か

楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。今回は弥勒について取り上げます。

唯識派の祖としての弥勒

『龍樹の仏教観』には、「インドの無著は毎夜、定に入り、弥勒より直接に大乗教を聞きしをいい」という一文が見られます。

これは『大唐西域記』の次の一文に基づくものと思われます。

「無著菩薩は夜天宮に昇り、慈氏菩薩〔弥勒菩薩〕の所に於いて瑜伽師地論・荘厳大乗経論・中辺分別論等を受けて、昼に大乗の為に冥利を講宣せり」(巻第五)

古来、唯識派の祖(=無著の師)は、弥勒菩薩とされてきました。無著が夜な夜な兜率天に昇り、弥勒から教えを受けた、あるいは弥勒が毎晩、無著のもとに降りてきて教えを授けたと言われます。

宇井伯寿教授はこれを、無著の師匠で、実在の人物であった弥勒(=唯識派の始祖としての弥勒、弥勒論師)と、兜率天上の当来仏としての弥勒(弥勒菩薩)とが同名ゆえに混同され、このような伝承が生まれたと推測しました。

しかし他方で、「弥勒五書」として挙げられる経典が、中国とチベットで異なることなどから、歴史的人物としての弥勒の存在を疑問視する見解も根強くあります。

中国伝承チベット伝承
『大乗荘厳経論』『大乗荘厳経論』
『中辺分別論』『中辺分別論』
『金剛般若経論』『法法性分別論』
『分別瑜伽論』『現観荘厳論』
『瑜伽師地論』『宝性論』
弥勒造とされる五書

これらが弥勒の著作とされるのは、唯識思想の中で他の文献より古い時代の内容を持つ文献であるためとされます。中でも両伝承に共通する『大乗荘厳経論』と『中編分別論』は、特に古層に位置すると考えられています。

唯識派の祖としての弥勒は謎の人物です。無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)兄弟の師匠とされ、宇井は西暦270年ごろ〜350年ごろの人物と推定し、干潟龍祥は350年ごろ~430年ごろと推定しました。『中辺分別論』や『大乗荘厳論』の著者とされますが、無著の著作で『中辺分別論』を解説した『釈論』では、『中辺分別論』を、天上界の弥勒菩薩から世親が教えを授かり、人間の言葉にしたと書かれており、やはりここでも当来仏としての弥勒との混同か、飽くまで神話的な存在として設定された人物かのようにも思われます。

佐久間秀範は、実在人物説に対し、「ヨーガの実践修行等の実体験として感得されるある種の力を兜率天に居ます弥勒の存在と表現」したものであろうとした上で、そうすることに「別段何の違和感も感じない」としています。

なぜなら、「仏教に限らず、熱心な実践修行者にとっては自分たちが考えて記録したのではなく、自分たちの与り知らない何かしら実在する大きな力から発せられるメッセージであると感じ取り、それを神などの概念で表現したとしても、何の問題もないと考えている」からであるとします。

楠龍造も「神を通ずるもの、神の啓示によるとし、仏を奉ずるものは、仏の顕示によるとし、天使といい、龍といい、皆この一大信感の影ならざるなし」と述べています。

当来仏としての弥勒

一般によく知られるのは当来仏としての弥勒菩薩の方かと思います。当来仏とは現在仏=釈迦に対し、未来の仏のことを指します。弥勒は「一生補処」とも呼ばれ、この一生を過ぎれば、次は「仏の位処を補う」存在であるとされます。

弥勒は現在、兜率天という天界で如来になるべく修行していますが、釈迦入滅後、56億7000万年(あるいは5億6700万年)に如来となってこの世に降りてきて衆生を救済するとされます。(天界は多層構造をなしており、兜率天がどういった位置付けになるかについては稿を改めて解説したいと思います)

この時、弥勒は龍華樹の下で三度説法(龍華三会)を行うとされ、これに参会することが弥勒信仰者の悲願であるわけですが、56億7000万年(あるいは5億6700万年)はあまりに長すぎるためか、この弥勒の降臨を待つ「弥勒下生信仰」に対して、自分が死後に兜率天に昇って弥勒とともに過ごし、一緒に下天する「弥勒上生信仰」というものも生まれました。弥勒の下生信仰と上生信仰──これらが弥勒信仰のコアとなるものです。

弥勒の起源

弥勒の起源として、『リグ・ヴェーダ』のミトラ、あるいはゾロアスター教のミトラ、ないしミトラ教(ミトラス教)のミトラとの関係を指摘する見方があります。相互の関係は不確かですが、インド(『リグ・ヴェーダ』)からイラン(ゾロアスター教)へ、あるいは共通のミトラ信仰から、地中海(ミトラ教)へと伝わったものと推察されることがあります。さらにこのミトラ教は信仰的特徴から、原始キリスト教にも影響を与えたと考えられています。

立川武蔵は「ミトラがさまざまな場面でかぎりなく弥勒を連想させる存在であったとしても、ミトラが弥勒(マイトレーヤ)の前身であるとは断言できない」と断りつつ、「私は、弥勒(マイトレーヤ)という仏は、紀元後一、二世紀ころ、ミトラ教が原始キリスト教に影響を与え、ガンダーラにおいて仏像が初めてつくられて次第に、ミトラと同一視されるような時期を経て、メシア(救世主)思想を具えた、天上から降りてくるという形の仏につくりかえられたのではないか、弥勒の誕生とはそういうことではないか、と思っている」と述べています。(『弥勒の来た道』)

弥勒は、遠く西アジアやローマをも経て、日本を含む東アジアへと伝わった仏と考えられます。

参考文献

『高崎直道著作集 第三巻 大乗仏教思想論II』

佐久間秀範「インド瑜伽行派諸論師の系譜に関する若干の覚え書き―弥勒・無着・世親―」
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/19104

速水侑『菩薩』

速水侑『弥勒信仰』

立川武蔵『弥勒の来た道』

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