楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。
「成仏思想と仏身論、多仏思想」において、燃灯仏授記について触れました。今回はさらに踏み込んだ内容と、燃灯仏授記を描いたベゼクリク壁画について解説します。
燃灯仏授記とは、ゴータマ・ブッダの前世についての物語=本生譚(ジャータカ)の一種で、ゴータマが前世において、バラモンの青年だった時に、燃灯仏より、「汝は未来世において、仏になるだろう」と予言された、という話です。この予言のことを「記別」といい、記別を受けることを「授記」といいます。
燃灯仏授記の定型
燃灯仏授記には、周辺情報を拡張したりなどした、様々なバージョンや、固有名詞の違いなど、いくつかのバリエーションがありますが、基本となるのは次のような物語です。
ゴータマが過去世において、バラモンの青年だった時、街に燃灯仏(定光仏、錠光仏など)という覚者が訪れることを知り、花売りの娘から五茎の蓮花を買い求めて仏に捧げ、燃灯仏の進む道の先に泥濘があったために、自らの髪を地面に敷いて、その上を歩かせました。
そして青年が「未来に仏になろう」との誓願を立てると、燃灯仏は「汝は未来世において仏となるだろう」との予言(記別 vyākaraṇa)を与えます。このことを「授記」といい、これが燃灯仏授記の定型となるものです。
青年の名前は経典により、スメーダ(Sumedha)、メーガ(Megha)、スマティ(Sumathi)、マティ(Mati)など様々であり、花売りの娘の名前もプラクリティ(Prakṛti)、ダーリカー(Dārikā)などの違いがあり、ゴータマの妃ヤショーダラーの過去世とも言われます。
燃灯仏はディーパンカラ(Dīpaṃkara)の漢訳で、「灯火を輝かす者」の意であり、燃灯仏授記に共通するものですが、燃灯仏が訪れた街の名前や、ゴータマの過去世のどの段階であるか、あるいはまた、燃灯仏自身の過去世についても語られたものなど、いくつかのバリエーションがあります。
燃灯仏授記の持つ意味
干潟龍祥(インド哲学者)は、燃灯仏が「大乗的な仏」であり、燃灯仏授記が「菩薩の起源的意味を受けつつ、既に或る意味では大乗仏教に一歩ふみ込んだ思想」だと述べています。
というのは、菩薩(菩提薩埵=bodhisatta)の元来の意味は、「悟りの智慧(菩提 bodhi)のある衆生(有情 satta)」なのですが、解釈によっては「智慧を求める有情」、さらには「未だ智慧を得ていない有情」とも読め、パーリ聖典の多くは、菩薩を「未だ悟らざる」の意に解します。
ところが大乗においては、菩薩は準-如来的な存在として、一層格上げされ、「将来、如来(仏)となることが確定している者」となります。この背景に授記思想があり、とりわけ燃灯仏授記の存在があったと見なします。
「しかしこの燃灯仏なる過去仏は、原始仏教、従って小大乗共通の過去六仏の中のものでなく、全く新しく考え出されたもので、その名の示す如く、行者の心中に光明を与えるものであり、世界に初めて覚りの光を点ずるものとして案出された仏である。全く授記の為に案出された仏である。而してかくの如き授記の思想が起るには、既述の通り、菩薩なる考えが生じ、それが成仏確定して居る者であるということを一層明瞭に裏書したい心持が起って考案されたものであろう」(干潟龍祥『本生経類の思想史的研究』)
やや勇み足の感もなくはないですが、燃灯仏授記が大乗的な菩薩思想への足がかりとなったと推定できそうです。
壁画に描かれる燃灯仏授記
燃灯仏授記の場面は、多くの石彫や壁画などに描かれていますが、左図はそのうちのひとつで、ベゼクリク千仏洞の壁画です。11世紀ごろに描かれたものとされます。
中央に燃灯仏、右下に地に伏して髪を敷く青年が描かれています。
この壁画(第9号窟誓願画⑦)は1905年に新疆ウイグル自治区トルファン郊外の石窟で、ドイツの考古学者アルベルト・フォン・ル・コックによって発見され、ベルリンの民族学博物館に所蔵されました。
しかし、第二次大戦のベルリン空爆によって破壊され、ル・コックの著作に掲載された、このモノクロ写真(左図)にしか残されていません。
芸術性も高く評価される壁画だけに非常に残念なことですが、喜ばしいことに、2003年に龍谷大学によって、第4号窟の壁画がデジタル復元され、公開されました。この中には同じ場面を描いた壁画もあり、第9号窟壁画の美しさを想像させるものでもあります。龍谷大学のサイトで観ることができますので、是非ご覧ください。
参考文献
平川彰『初期大乗仏教の研究』
干潟龍祥『本生経類の思想史的研究』
干潟龍祥『ジャータカ概観 改訂増補』
赤沼智善「燃灯仏の研究」(『赤沼智善論文集 第1巻』所収)
前田耕作『巨像の風景 : インド古道に立つ大仏たち』
村上真完『西域の仏教 : ベゼクリク誓願画考』
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