『功利主義論』に言及された人々(12)ベイン

サポートページ企画の第12回です。今回はアレグザンダ・ベインについて取り上げます。

ベイン教授が、「精神」についての深遠な労作である二著作のうち、二作目にある(「倫理的感情、あるいは道徳的感覚」と題された)見事な章において、この点について、強調して、説明しているところを参照されたい。

アレグザンダ・ベイン(Alexander Bain, 1818-1903)は、スコットランド出身の思想家、心理学者、論理学者、言語学者で、ミル父子と親交があり、J・S・ミルと共同でジェイムズ・ミルの『人間精神現象の分析』を注釈付きで復刻したことがあります。心理学雑誌『マインド』を創刊したことや、『J・S・ミル評伝』を記したことなどでも知られます。

ミルはベンサムや父ジェイムズ・ミルの「感情」についての取り扱いが非常に淡白であることに不満を抱いており、ベインによる連合主義心理学(Associationist Psychology)の確立と発展に期待するところが大きかったようです。あるいはまた、これに関連して、ミルは経験主義に基礎を置く連合主義心理学が直観主義との対決において果たす役割を重視していたようです。

連合主義心理学とは何か

連合主義心理学は、ホッブズやロックを起源とし、ハートリー(David Hartley)、ヒューム、ブラウン(Thomas Brown)、ジェイムズ・ミルなどを経て、ベインによって心理学として確立されます。連合主義心理学という呼称こそ19世紀後半以降に遡及的に命名されたものですが、「連合」(association; 連想)という考え方自体は、17世紀から18世紀にかけてイギリス経験論の哲学者たちによって提唱されてきました。

連合とは、個々の感覚経験や観念が結びついて、より複雑な心理的構造を形成するプロセスを指します。そしてこの連合の考えをもとに、心的作用として、類似性や隣接性などの諸法則を見出す連合主義の考えが生まれます。これに感覚と観念の連合のみならず、感情(emotions)や意志(will)の重要性に着目したり、観察や実証、生理学的要素を組み込むことで、心理学をひとつの学問分野として哲学から独立させ、科学化したのがベインでした。

ミルは、ベンサム主義者が「理論を吐き出す機械」や「詩の敵」と非難されたり、「功利主義は冷たい打算である、経済学は冷酷無情である、人口制限は人類の自然の感情に反する」などと「感情的な理由から攻撃されることが多かった」ことについて、不当としつつも、功利主義がしばしば「感情」を軽視してきたことを認めます。

また一方で、ミルは、経験主義に敵対する直観主義が、社会改革の是非を「環境と連想で説明しようとせず、どちらも人間の本性によるものだと」して、「自分が気に入った説を直観的真理であるとし、直観は大自然の声であり神の声であって、人間の理性よりずっと信頼できると主張する」ことに大きな懸念を抱いていました(以上『ミル自伝』より)。

このような事態において、経験主義に基づいた「感情」についての理論が求められており、ベインの連合主義心理学はこれに応えるものだったのです。

あるいはまた、ミルは、コントの実証主義が直観主義を排する点で高く評価しつつも、心理学を軽視し、骨相学という擬似科学的生理学の一部に還元したことを批判し、連合主義心理学の重要性を説きました。

その後の連合主義心理学とベイン

その後の連合主義心理学は、20世紀初頭に発展した行動主義心理学に理論的基盤を継承し、心理学の初期理論という功績を残しつつも、理論の限界が指摘され、衰退していきます。

連合主義心理学の理論的限界としては、(1)心を受動的な機構として捉えすぎており、人間の創造的思考や能動的な認知プロセスを説明できなかったこと、(2)抽象的な思考や論理的推論、社会的判断など、より高度な認知プロセスを説明できなかったこと、(3)連合の過程が神経系でどのように起こるのかについての詳細なエビデンスが、当時の科学技術では示すことができなかったこと、などが挙げられます。

こうした限界のためか、本間栄男「アレグザンダ・ベインの感情論の構造」は「総じて, 20世紀に書かれた心理学史ではまだベインの業績が記憶に留められているのに対し, 21世紀に入ってからの『現代心理学』ではベインは無視される傾向にある, と言える」と述べています。

参考文献

本間栄男「アレグザンダ・ベインの感情論の構造」

https://stars.repo.nii.ac.jp/records/398 (桃山学院大学学術研究リポジトリ)

J. S. ミル『ミル自伝』(村井章子訳)

矢島杜夫『ミル『論理学体系』の形成』

A・ベイン『J・S・ミル評伝』

コメント

タイトルとURLをコピーしました