楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。今回は馬鳴と大乗起信論について解説します。

馬鳴は、インド戯曲の最古の作者であり、サンスクリットで叙事詩を著した詩人ですが、仏教史上においては、大乗仏教の転換期に指導的な役割を果たした思想家として評価されてきました。特に、馬鳴を『大乗起信論』の著者とし、龍樹と並んで大乗教義の開拓者とする見方が古くからあり、『龍樹の仏教観』もこの見方に則っています。しかし『大乗起信論』が馬鳴によって書かれたものであるかについては、懐疑・否定説が強く、この点を含めて、以下、馬鳴と大乗起信論それぞれについて見ていきたいと思います。

馬鳴について
馬鳴(Aśvaghoṣa, アシュヴァゴーシャ)は、西暦100年から150年ごろの仏教詩人で、インド北部の古都サーケータ(現在のアヨーディヤー)に生まれたとされます。「アシュヴァ」(Aśva)が「馬」を意味し、「ゴーシャ」(ghoṣa)が「声・鳴くこと・叫び」を意味することから、「馬鳴」と漢訳されました。
『付法蔵因縁伝』によれば、馬鳴は、元は外道(非仏教徒)だったのですが、富那奢という仏僧との討論に敗れ、弟子となって仏教に帰依したとされます。
同じく『付法蔵因縁伝』によれば、クシャーナ朝のカニシカ王は、中インドを征伐した際、九億の賠償金を要求したのに対し、馬鳴と仏鉢と一羽の慈心鶏が各三億に相当するとして、馬鳴を貰い受けたとされます。馬鳴は、名医の遮勒(チャラカ)と大臣の摩啅羅(マータラ)とともに王の寵愛を受け、『雑宝蔵経』はこの三者を、王の三智人と呼びます。

他方、『馬鳴菩薩伝』では、外道であった馬鳴は、脇尊者(パールシヴァ)との討論に敗れ、脇尊者の弟子となって仏教に帰依したとされます。
『大唐西域記』は、脇尊者は迦膩色迦王(カニシカ王)とともに、500人の賢聖を召集して、毘婆沙論を作製したとありますが、真諦訳の『婆藪槃豆法師伝』では、迦旃延子(カニシカ王)が使いを出して馬鳴を招き、毘婆沙論の作製に関与させたことが述べられています。
これらの所伝を整合的に解釈することは困難ですが、馬鳴がカニシカ王および脇尊者と関係があり、説一切有部の論書である毘婆沙論と関係があったことが窺われます。
馬鳴の部派
馬鳴がどの部派に属していたのかについては、種々の議論がありますが、先述の通り、脇尊者や毘婆沙論との関係などから、最も有力なのが、説一切有部であったとする説です。また『大荘厳論経』の序偈において帰敬を捧げる人物(富那、脇比丘、彌織)がいずれも説一切有部の論師たちであることなどから、そう考えられています。
ただ『大荘厳論経』が馬鳴の真作であるかは明確でないなどという点もあり、馬鳴の部派については、多聞部や経部とする説や、はたまた瑜伽行派(の祖となる部派)とする説など、いくつかの推測が挙げられています。
金倉円照『馬鳴の研究』は、いずれの説にも一理あることを認めた上で次のように述べています。
馬鳴の部派を決定することは、このように色々困難があるが、根本に立ち帰っていえば、生涯の間に或部派から別の部派へ変ったということも考えられないわけではあるまい。もしそれを許すとすれば、前述の各種の意見の調停も可能となろう。また、当時の仏教徒は必ず何れかの部派に所属せねばならなかったかどうかと、一応反問してみるのも無用ではないかもしれぬ。
金倉円照『馬鳴の研究』
馬鳴の部派を特定するためには、各部派の教義やその異同についても深く理解する必要があり、容易には決めかねる問題のようです。
馬鳴の著作
馬鳴の造とされる著作は多数ありますが、特に重視されるものとして、まず、『ブッダチャリタ』があります。漢訳『仏所行讃』としても知られます。これはブッダの生涯を流麗典雅な美文で綴ったサンスクリット叙事詩です。
『サウンダラナンダ』(『美男ナンダ』、『端正なる難陀』)も同じくサンスクリット叙事詩で、ブッダの異母弟で美貌の青年ナンダが妻への恋情に執着するのをブッダが諭し、得度出家へと導く物語です。
『シャーリプトラ・プラカラナ』は、ブッダの有力弟子である舎利弗(サーリプッタ)と目連(モッガラーナ)が仏門に帰依するに至る事件を描いた九幕の戯曲です。
『ヴァジュラ・スーチー』はカースト制度を批判した小論で、サンスクリット文献では馬鳴造とされますが、これに対応する漢訳『金剛針論』では「法称菩薩造」とされており、馬鳴の真作としては疑問視されています。
『大荘厳論経』は、90種の説話を散文と韻文の混合体で述べたもので、「鳩摩羅什訳、馬鳴菩薩造」となっていますが、一部に懐疑的な見方もあります。羅什の所伝の信頼度が高いことや、義浄『南海寄帰内法伝』にも馬鳴造として言及があることなどから、少なくとも中国では古くから馬鳴の真作と見なされてきました。
最も問題となるのが、『大乗起信論』です。常磐大定『馬鳴菩薩論』は、『大乗起信論』についてこう述べています。
この書〔大乗起信論〕は大乗通申の論たるにおいて、また大乗教義の嚆矢たるにおいて、古来仏家の宝典とするところ、馬鳴菩薩の名の、支那日本に嘖々たるは、主としてこの大著あるによる。大乗といえば、必ず馬鳴の名を連絡し来たり、馬鳴といえば、常に起信論を想い起こさしむるまでに、両者の間に密接不離の関係を有するに至りぬ。
常磐大定『馬鳴菩薩論』
しかし、このように重要視されてきたにもかかわらず、『付法蔵因縁伝』や『馬鳴菩薩伝』などの馬鳴の所伝において、馬鳴の業績として言及されることがなく、また内容的にも大乗仏教後期の思想が認められることなどから、馬鳴の真作であるかは、古くから疑問視されており、今日では否定説が確定的であると思われます。
また、『大乗起信論』には、真諦(パラマールタ)訳と実叉難陀(シクシャーナンダ)訳の二種があり、いずれも「馬鳴菩薩造」としていますが、真諦訳についても疑問視する見解があり、インド撰述ではなく、馬鳴に偽託した中国撰述ではないかという見方もあります。6世紀以降の中国仏教(並びにその影響を受けた日本仏教)で強い影響力を持ったのも、中国撰述説を補強する要素です。
大乗起信論とは
前述の通り、『大乗起信論』は馬鳴の著作とは考えられませんが、(楠龍造『龍樹の仏教観』のように)『大乗起信論』をもって馬鳴の思想とする場合がありますので、『大乗起信論』についても簡単に見ておきたいと思います。
大乗起信論はしばしば「大乗仏教の綱要書」と称されますが、竹村牧男『『大乗起信論』を読む』は、それを受けて、次のように述べています。
内容の点から見ると、『起信論』では、ある唯識説が説かれています。この唯識は、法相唯識の系統とは違った、『楞伽経』に基づく独特な唯識です。そして如来蔵、本覚思想が説かれています。さらに一心・二門の真如門・生滅門というのは、ある意味では二諦説です。世俗諦と勝義諦の二諦説に関しては、中観が根本にあります。ですから、インドの大乗仏教の思想的な流れ、唯識思想、如来蔵思想、中観思想を全部統合して組織し直したものが『大乗起信論』であると、私は見ています。
竹村牧男『『大乗起信論』を読む』
また、柏木弘雄『大乗起信論の研究』でも、その性格を次のように記しています。
中観・唯識・如来蔵という諸方面の教学を見事に統収し来った一論師の手になるこの力作は、大乗仏教が成立以来その存在全体をかけてあきらかにしようとした大乗という中心課題を、理論と実践の両面から、非常に手際よく捉えて澱みがない。
柏木弘雄『大乗起信論の研究』
『大乗起信論』は、中観・唯識・如来蔵といった大乗の諸理論を、一つの体系にまとめたものであるということのみならず、それを修行論に接続した実践理論書という側面も持ちます。
『大乗起信論』の修行論では、まず「信」が強調されます。なぜ信が必要か。それは、衆生はすでに真如(本覚)を具えているにもかかわらず、無明によってそれを自覚できないからです。信は、本覚を「理として承認すること」によって修行の可能性を開きます。
『起信論』は修行を、「本覚」(本来の覚り)と「始覚」(修行による自覚)という区別で説明します。重要なのは、修行によって新しい何かを獲得するのではない、という点にあり、始覚とは、本覚を顕在化させる過程にすぎません。この構造により、修行の必然性と成仏の保証が同時に確保されます。
参考文献
金倉円照『馬鳴の研究』
常磐大定『馬鳴菩薩論 教界文豪』
竹村牧男『『大乗起信論』を読む』
柏木弘雄『大乗とは何か 『大乗起信論』を読む』
柏木弘雄『大乗起信論の研究 大乗起信論の成立に関する資料論的研究』
平川彰編『如来蔵と大乗起信論』






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