楠龍造『龍樹の仏教観』サポートページ企画です。今回は「須弥山世界と仏教宇宙観」について取り上げたいと思います。
須弥山世界とは、仏教の独特な世界観・宇宙観・コスモロジーのことです。諸経典によって多少の違いがあったりしますが、ここでは『倶舎論』世品を基本として解説します。
世界の中心には須弥山(しゅみせん)という巨大な山がそびえ立っています。標高は8万由旬。由旬は諸説ありますが、約7キロメートルとされますので、8万由旬は、おそよ56万キロメートルと推定されます。地球から月までの距離が38万キロメートルですから、途方もない高さです。
九山八海
この世界には九山八海があるとされます。須弥山を取り囲むように、同心方形の山脈が7つあります。その山脈郡のさらに外側を囲むように、”世界の淵”にあるのが鉄囲山(「てついせん」または「てっちせん」)です。須弥山+7つの山脈+鉄囲山が九山です。それぞれの間にある海が八海です。7つの山脈の一番外と鉄囲山の間にある海は塩水ですが、他は淡水です。
ちなみに、須弥山は標高8万由旬(56万キロメートル)ですが、水に浸かっている部分も8万由旬あります。つまり海底まで水深56万キロメートルです。先述の通り、月までの距離が38万キロメートルなわけですから、途方もない深さです。
一番外側の塩水の海には東西南北に四大洲と呼ばれる4つの大きな島(大陸)があります。このうち南にある贍部洲(せんぶしゅう)がわれわれの住む世界とされます。閻浮提(えんぶだい)ともいいます。ほぼ三角形に近い台形をしており、これはインド亜大陸を想像させるものです。『西遊記』の孫悟空は、東にある勝身州傲来国の花果山で生まれたという設定になっています。贍部洲の下には地獄があるのですが、ややこしくなるので省略します。
須弥山の話に戻りますが、須弥山は四角柱をしており、金、銀、瑠璃、玻璃の四宝から出来ています(鉄囲山は鉄で出来ていて、その他の七山は金で出来ており、七金山とも呼ばれます)。須弥山の北面は金で出来ており、黄色に見えます。東面は銀で出来ており白色に、南面は瑠璃で出来ており青色に、西面は玻璃で出来ており赤色に見えます。我々の住む贍部洲は須弥山の南側にあるため、反射して空が青く見えるのだそうです。東面が白いために朝は空が白く、西面が赤いために夕方は空が赤く見えるというわけです。
須弥山の頂上は、一辺8万由旬の正方形をしており、忉利天(とうりてん)という、三十三天(三十三の神々)の住処があるとされます。頂上の中央に、善見という都城があり、さらにその中央に殊勝殿という宮殿があって、そこに帝釈天が住んでいます。
善見城の外に、四園林という三十三天の遊苑地があります。また善見城の北東には円生樹という巨木があり、南西には善法堂という集会所があります。忉利天の四方の角には、高さ500由旬の峯があり、諸天を守護する金剛手薬叉の住処となっています。
須弥山の中腹あたりの高さに天宮という風の輪があり、ちょうど四大洲の真上あたりにあって、太陽と月はその上に乗っています。太陽の直径は51由旬、月の直径は50由旬とされます。
金輪・水輪・風輪
この九山八海は、金輪(地輪)の上にあります。金輪は水輪の上に乗っており、水輪は風輪の上に乗っています。風輪は虚空に浮かんでいます。
九山八海の上空には天界がありますが、ややこしくなるので省略します。
この世界全体を一小世界といいます。それが千個集まったものを一小千世界といいます。一小千世界が千個集まったものを、中千世界といいます。中千世界が千個集まったものを、大千世界といいます。大千世界は三千世界ともいいますが、3000という意味ではなく、1000の三乗という意味です。つまり10億の小世界があるということです。
仏国土
我々の住むこの世界を、娑婆世界といいます。釈迦仏が教化する世界が娑婆世界です。しかしながら、娑婆の範囲には諸説あります。贍部洲とする説、四天下(四大洲)とする説、大千世界とする説です。玄奘は大千世界とする説をとりました。この説に立つならば、大千世界は、世界のすべてではなく、仏の数だけ大千世界があるということになります。
というのは、仏はそれぞれ、仏国土(仏土、浄土)と呼ばれる、固有の世界を持つとされるからです。釈迦仏の仏国土が娑婆世界です。この他、有名なものとして、阿弥陀仏の極楽浄土、阿閦仏の妙喜国、薬師仏の浄瑠璃世界などがあります。しかしながら、仏国土は大乗仏教で生まれた概念であり、須弥山世界と必ずしも同一の体系に属さないようです。ですから『倶舎論』には仏国土という言葉は出てきません。
地球説との論争
現代の我々にとってこのような宇宙観は、一種の物語のようなものに過ぎませんが、明治初期の一部の仏教徒にとっては、深刻な問題であったようです。
大友抱璞「宇宙観と信仰 須弥山と地球説との論争」(『大乗 : ブディストマガジン 8(10)』)によれば、明治初年において「キリスト教徒は、地球説を表にたてて、仏教の須弥山説の非科学性を論破することによって、仏教そのものを撃破しようとしてきた」といいます。赤松連城と七里恒順との論争(ともに真宗の僧侶)では、なんと須弥山説をとる七里が優勢であったそうです。
とはいえ、近代科学に基づく地球説には抗い難く、これに反動的ともいえるほど、過剰な反応・抵抗を見せたのが、佐田介石でした。
佐田介石は、浄土真宗本願寺派の僧でしたが、「須弥もし妄説とならば、釈尊一代の経論一として実なるものなし。悉く妄誕となるべし」(『須弥須知論』)と豪語し、地動説や地球球体説を批判して、須弥山説を熱烈に擁護しました。
ただ、長山靖生『奇想科学の冒険』が指摘する通り、佐田は、西洋を嫌いながら、洋学に通じており、彼の球体説批判は、科学的な思考に依拠していました。佐田の反応は、明治の急速な近代化・西洋化のハレーションとも捉えられ、近代化の裏面史として非常に興味深い事例です。
佐田の後に続く世代の明治の仏教学僧らについては本ブログにて、すでに取り上げました(「近代仏教/明治仏教とは?」参照)。井上円了や村上専精、清沢満之といった人々による、近代化・西洋化に対する取り組みがなければ、須弥山説が、反進化論としての創造説のような存在になっていたかもしれません。
参考文献
定方晟『須弥山と極楽――仏教の宇宙観』
『仏教思想大系』第14巻
小野玄妙、大東出版社、昭和8
「この世界説〔須弥山世界説〕を一通り呑み込んで置かぬと、経典の学説が解かり悪い」と述べています。
春名徹『文明開化に抵抗した男 佐田介石 1818-1882』
「『鎚地球説略』における佐田介石の立場は、ひとことでいえば攘夷論的科学とでもいうべきの」であり、「これまで仏教的な宇宙論を主張するために、現実によるのではなく観念的な思弁にたよって来た人にしては、大きな転換ではないだろうか」と評しています。
長山靖生『奇想科学の冒険 近代日本を騒がせた夢想家たち』
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