出版の未来 8つの思考実験

『オックスフォード 出版の事典』(2023, 丸善出版)に、「8つの思考実験」というものが書かれていたので、紹介したいと思います。

本書では「出版の未来を予測できなくても、それについて考えることはできる」との立場から、出版の「未来予測」ではなく、「思考実験」として、8つの起こりうるかもしれない未来が提示されています。ちなみに原著はイギリスの刊行物のため、イギリスの出版事情を前提としている部分があるように見受けられます(例えばイギリスでは再販制度が実質廃止されている)。

(1)高名な著者によるセルフ・パブリッシング、学術・商業の双方で

すでにJ. K. ローリングの「ポッターモア」などがありますが、それでも依然として紙の本は伝統ある出版社から刊行されています。それでもなお、ブランド性の高い著者がセルフ・パブリッシングを始める可能性はあるといいます。なぜなら、近年、出版社は著者に対するサービスの集合体となりつつあるからです。

「出版社は、本をつくる一連の流れの中で、編集などの一部を担当するが、印刷や販売などは別の組織が担当している。(……)今現在の潮流では、サービスの分割・分解が進んでいるように思われる。写植や編集などのさまざまな機能を、専門のフリーランサーや、マーケティングやパブリシティの専門機関を含む新しいサービス組織に委託する傾向が、ここ数年で加速している。出版は、自らを解体へと進めているのだ」。

出版社の機能は、編集ユニット、制作・流通ユニット、販売・マーケティング・宣伝ユニットといったものに分割され、各専門業者がそれぞれを担い、著者あるいは新たなコーディネーターが、各ユニットを統括することになるかもしれません。欧米では、学術ジャーナルの多くが電子化(電子版のみで刊行)されているといいますから、学術出版の世界でも同様の動きにつながる可能性はあります。

(2)あなたの好みに合わせてAIが本を書く

「手元のデバイスに内装された読書サービスは、既存の作品をスキャンして合いそうなものを探す代わりに、あなたのためにその場でストーリーを書く。(……)その物語は〔あなたがリクエストした〕要素をとりこむだけでなく、あなたの趣味をよく理解したうえで生成されている。このシステムは、あなたが過去に購入したすべての本を把握しており、あなたがこれらの本を読んだかどうか、またカスタマイズされた作品を読んだかどうかを分析している。(……)あなたがどの登場人物に共感しているかを推測し、さまざまな種類の資料に対して理想的な文章の長さや語彙を計算する」(〔 〕内引用者)。

これは読書のユートピアか、はたまたディストピアか。人は自分が想像もしないような物語を読みたがる一方で、自分の期待する、あるいは自分が書いたかのような物語を読みたがる傾向もあるわけで、AIなら、他者でありながら自分、しかも千差万別な、個別具体的な個々人に合わせた、それぞれの物語が生成可能になるかもしれません。あるいは、既存の物語をAIによってカスタマイズすることもできるかもしれない。例えば、文章の長さや語彙の制限版だったり、暴力描写・性的描写の制限版だったり、といったものです。

(3)本が消える

すでに本は消えつつあります。辞書も百科事典も地図帳も旅行ガイドもレシピ本も、ネットに取って代わられています。文法やスペリングの修正は翻訳プログラムが担い、文芸は動画配信が担うことになれば、もはや誰も本を読まなくなる……かもしれません。

(4)顧客本位のサービス

本のサブスクはどうか。電子書籍では、すでにKindle Unlimitedがありますし、紙の本のサブスクリプションボックスもすでにあります。ならば「読者が本を読み終えたかどうかにかかわらず、単純に購入者からロイヤリティが支払われる現在のシステムではなく、著者は本が読まれた時点で支払いを受ける」というのならどうでしょう。以前読んだ『ポストデジタル時代の公共図書館』で、Pay-as-you-read(読んだ分だけ課金)方式が紹介されていました。参照:『ポストデジタル時代の公共図書館』を読みました

(5)オンデマンド翻訳

これもAIの発達によって、翻訳プログラムがより高度に進化した未来の話です。そうなれば「本は言語を超えてより簡単に入手できるようになり、私たちの世界文学へのアクセスは革命的なものになるだろう。たぶんそのうちに真のオンデマンド翻訳、すなわち希望するタイトルを、注文に応じて1冊ずつ翻訳出版できる日がくるかもしれない」。ブラウザの翻訳機能というものがすでにあるわけで、読書アプリに翻訳機能が搭載される可能性もなくはないような気もします。

(6)電子書籍は無料、紙の書籍は5倍の価格で

紙の書籍の平均価格は年々上昇しているそうです。他方で電子書籍の平均価格は下落しています。これには電子書籍がセルフ・パブリッシングのものが増えているせいもあるそうで、これによって産業自体の二極化が進行する可能性があります。「出版業はついに2つの世界、ほぼ2つの産業に分かれてしまったといえるだろう。価格が高くて小規模な印刷の世界と、価格が低く、無制限で無料の、セルフ・パブリッシング主体の世界である」。

(7)店舗販売の死:すべての本はインターネットで売られる

これは現在進行形ですね。「町に本を売っている場所はなくなった。書店は消滅してしまったのだ。もちろん、人々はまだ本を読んでいるが、紙であれデジタルであれ、すべオンラインで購入していた。そのほうがはるかに安くて便利だからだ」。日本でもリアル書店の減少は著しく、無書店自治体はすでに全国で25%に及ぶといいます。リアル書店のアドバンテージは確かにあると思うのですが、それがリアル書店を存続させるほどの力を持っていないのか、歯止めがかからない状態にあります。

(8)アナログの復活

音楽でアナログ盤が重宝されるように、紙の本が重宝される時代は来るのでしょうか。「社会の知的衰退に対して、経済的な競争力の低下を懸念した政府は、学校や大学での教育に再び書籍を導入することを決定した。(……)乗合の自動走行車での毎日の通勤時間に、電子機器のない寝室で、そして携帯電話を常にチェックしていた一日の中の暇な時間に、多くの人々がじっくりと本を読む喜びを再発見する」。どれほどアナログ盤が重宝されているといっても、主流は配信サービスなわけで、本の重みや、紙の手触りを読書の価値とすることは、豊穣な文化があった頃の余興のようなものではないかというような気がします。

以上、8つの思考実験でした。本書では、現代を「印刷機が発明され、ルネサンスと宗教改革が起きて以来の激動の時代」であると述べています。8つの思考実験を元に、出版の未来について考えてみる、というのもおもしろいのではないでしょうか。

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