『龍樹の仏教観』のサポートページ企画です。今回は金剛手薬叉について取り上げます。
「須弥山世界と仏教宇宙観」において、金剛手薬叉は忉利天で諸天を守護していると述べました。金剛手薬叉は金剛夜叉明王の別名ともされます。
しかしながら、主に仏像について書かれた書籍などに、仏の階層として、下図のような「如来>菩薩>明王>天(天部)」という序列が登場します。
これは基本的に、仏像や仏教絵画における中尊と脇侍という配置の関係と思われますが、この階層に従えば、むしろ諸天は明王の守護者のように思われます。これはどういうことなのでしょうか。
天とはなにか
天は、インドにおける古代の神々を仏教に取り入れたものとされます。代表的なものが、ブラフマーを取り入れた梵天、インドラを取り入れた帝釈天です。天はサンスクリット語のDeva(デーヴァ)の漢訳であり、ラテン語のDeus(デウス)と同語源で、現代語でいえば「神」の意です。
しかし中国語の「神」には、精神という言葉の用例のように、魂のようなニュアンスを帯びるため、天と訳されました。天には、天界(神々が住む場所)と天界に住むもの(神々)という両方の意味があり、兜率天は前者の意味ですが、帝釈天は後者の意味になります。そこで後者の意味で使う場合は、天部といったりします。(ただ天部が天界の意味で用いられている事例もしばしば見かけます)
明王とはなにか
対して、明王もまた、古代インドの神を仏教に取り入れたものとされます。しかし、ヤクシャ(yakṣa)と呼ばれる精霊神で、高位の神というよりも、民衆の守り神のような存在だったそうです。他方で、このヤクシャは人を食らう鬼神ともいわれ、仏陀に帰依して善神になったとされます。
このヤクシャからヴィドャー・ダラ(vidyã-dhara)という尊格が派生し、これが仏教に取り入れられて、ヴィドャー・ラージャ(vidyã-raja)となり、漢訳されて明王となりました。
ここで重要なのが明王が密教の思想を多大に含んでいるということです。ヴィドャーは元々は智慧の意でしたが、神秘的な力を持つ言葉の意となり、この神秘的な力を持つ言葉は、真言陀羅尼のこととなりました。
密教の影響下に、明王は格上げされます。特に真言密教では、五大明王は五智如来の化身とされ、教王護国寺の諸像配置では、五大菩薩とともに如来の脇待となり、さらにその脇を天部(四天王+梵天+帝釈天)が固める形となりました。
金剛夜叉明王について
金剛手薬叉は、ヴァジュラヤクシャ(Vajrayakṣa)の漢訳で、金剛夜叉明王のこととも言われます。先述の通り、ヤクシャは鬼神の意味で、仏陀に帰依して、仏教の守護者になりました。ヴァジュラは金剛杵という武器のことで、金剛手は金剛杵を手にする者を意味します。
金剛夜叉明王は、三面六臂、正面は五眼、左右はそれぞれ三眼の奇相をしています。六本の手にはそれぞれ、宝剣、金剛杵、箭(矢)、法輪、弓、金剛鈴を持っています。
ヴァジュラは金剛杵の意味ですが、元は雷を意味する言葉で、転じて、雷霆神インドラの持つ、雷を操る武器である金剛杵の意味となりました。
インドラはインド神話の神で、仏教に取り入れられて帝釈天となりました。
金剛杵は、両端から鉤状の爪(鈷)が出ており、鈷が一本のものを独鈷杵、三本のものを三鈷杵、五本のものを五鈷杵といいます。
京都醍醐寺五大尊像のうち金剛夜叉明王像
金剛鈴は金剛杵の片方が鈴になったもので、武器としての要素がさらに弱まったものと思われます。これを振り鳴らすことで、眠れる仏性を覚醒させるといいます。
法輪も元は投げて使う武器で、煩悩を打ち砕く法具とされます。法輪の代わりに羂索という投げ輪を持つ場合もあります。
謎多き金剛夜叉明王
金剛夜叉明王は謎が多い存在です。原型は古代インドにあると思われますが、他の明王にない五つの眼は何に由来するのか、あるいはなぜ明王の中で唯一、金剛(ヴァジュラ)の名を冠しているのか、など。時に金剛夜叉明王が烏枢沙摩明王と異名同体とされ、天台宗では、金剛夜叉明王が烏枢沙摩明王に置き換えられているのも、謎多きゆえかもしれません。
金剛がインドラ神を起源とすることはすでに述べましたが、インドラ神が仏教に取り入れられるのに際し、帝釈天とその侍衛者である金剛手(執金剛神)とに分化したとも考えられています。そして、主神的性格を帝釈天が引き継ぎ、悪衆の降伏者としての性格を金剛手が引き継いだと考えられます。
加えて金剛手は、ヤクシャといった非アーリア系の土着の神格と結びつき、塔の侍衛者や諸天の侍衛者となり、やがて釈尊の侍衛者、菩薩の侍衛者となっていったようです。
忉利天の金剛手薬叉は、金剛夜叉明王というよりは、執金剛神(ヴァジュラ・パーニ / ヴァジュラ・ダラ)と考えたほうがよさそうです。執金剛神の代表格は金剛力士です。寺院の門に二体一対の仁王像として安置されることがあります。
参考文献
頼富本宏『新装版 『金剛頂経』入門: 即身成仏への道』
『明王像のすべて (仏像が好き!)』
山野知惠「金剛手の変遷」『智山学報 47(61)』
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