『功利主義論』に言及された人々(4)ジョン・ゴールト

『功利主義論』新訳のサポートページ企画として「『功利主義論』に言及された人々」について取り上げています。第4回目の今回は、ジョン・ゴールトについて取り上げます。

ジョン・ゴールトは、原注の中に登場します。まずは岩波文庫版『功利主義』の該当箇所を御覧ください。

「功利主義的・功利主義者(utilitarian)という言葉を最初の使い出したのは、私自身だと信じていよい理由がある。私がこの言葉を発明したわけではないが、ゴールト氏の『教区年代記』(……)にたまたま使われていた表現を私が取り入れたのである」(関口正司訳『功利主義』岩波文庫)

ミルによるこの記述は、過去の翻訳者たちに混乱をもたらしました。utilitarianという言葉を発明したのは自分ではないが、最初に使い出したのは自分である、と言いつつ、ゴールト氏が使っていた表現を取り入れた、とはどういうことなのか? それなら最初に使い出したのは、ゴールト氏ということにならないのか? そもそも、ある用語を「発明する」ことと「最初に使う」ことは同じではないのか。

一般的には、utilitarianという言葉の最初の使用例は、ベンサムによるものとされます。オックスフォード英語辞典などにもそう書かれています。

そのためか、『功利主義論』の本邦初翻訳である西周の『利学』では、「本論の著者、自ら以為らく利学の名を用ゆるの初頭第一人なりと」という訳文の「本論の著者」の後に、「賓氏を指す」と註を入れています。賓氏とは賓雜吾(ベンサム)氏のことです。

奥田伸一訳では、utilitarianを「功利主義者」(「功利主義的」ではなく)と解釈し、「最初に使った」を、「最初に名乗った / 自称した」という意味に解釈します。

「本稿の著者は、自分が功利主義者を名乗った最初の人物であると考えている。この語は私の独創ではなく、ゴールト氏の『教区年代記』のちょっとした記述から採用したものである。」(奥田伸一訳『功利主義論』)

なぜそのような訳になるのか、どのような根拠があるのか、詳しくは本書収録の「訳者覚え書」をご覧ください。

「ジョン・ゴールトは誰だろう?」

少し脱線した話題なのですが、ミルが言及したジョン・ゴールトと同姓同名のジョン・ゴールトが、アイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』という小説の中に登場します。この人物は何か関係があるのでしょうか?

アイン・ランド(1905-1982)は、リバタリアニズムの思想家・小説家で、アメリカでは非常に影響力を持った人物です。彼女の代表作『肩をすくめるアトラス』という小説の中で、「ジョン・ゴールトは誰だろう?(Who is John Galt?)」という言葉が、人々の間で「考えても無駄なことだ」といった意味の慣用句的表現として使われています。

他方、小説の中では、世の中を支えるような偉大な人物(主に実業家)が次々といなくなる連続失踪事件が起こります。

この事件の背景には、世の中の社会主義的傾向を倦み、そうした人々にストライキを呼びかける人物がいて、その人物こそがジョン・ゴールトであることが判明します。

ひょっとしてひょっとすると、アイン・ランドは、『功利主義論』を読んで、ミルの記述から、ジョン・ゴールトを、真の最初の功利主義者と誤認して、この名前を採用したのではないか、と邪推したくなります。もちろん、アイン・ランドの思想と功利主義には大きな隔たりがあり、彼女が最初の功利主義者(仮にそうだとして)を称揚する意味もなく、また『教区年代記』の作者の方のゴールトは、功利主義者という言葉を批判的な意味で使ったわけで、両者の関係性は希薄ではあるのですが、功利主義を、損得計算と捉えるような、通俗的な誤解によるならば、こうした連想にも、一片の真実もなくはないのではないかと妄想をふくらませるわけです。

しかしながら、どうやらそういうわけではないようです。

wikipedia情報で申し訳ないのですが、次のような記述がありました。

Literature professor Shoshana Milgram traces the origins of the character to adventure stories that Rand read as a child, including the French novels La Vallée Mystérieuse and Le Petit Roi d’Ys. (……) There was a 19th-century Scottish novelist of the same name, but Milgram says that any connection to the character is “highly unlikely”. Milgram also notes that the name Rand originally picked for her character was Iles Galt.

文学教授のショシャナ・ミルグラムは、このキャラクター〔『肩をすくめるアトラス』のジョン・ゴールト〕の起源を、ランドが子供の頃に読んだフランスの小説『La Vallée Mystérieuse 』や『Le Petit Roi d’Ys』などの冒険物語に遡ると分析している。(……)19世紀のスコットランドに同名の小説家がいたが、ミルグラム氏はこの人物との関連性は「非常に低い」としている。ミルグラムはまた、ランドが最初に彼女のキャラクターに選んだ名前がアイルズ・ゴールトだったと述べている。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Galt

というわけで、『肩をすくめるアトラス』のジョン・ゴールトとは無関係のようです。

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