ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill: 1806-1873)。19世紀イギリスの哲学者、経済学者。功利主義の代表的思想家。
1806年
(0歳)
5.20
父ジェイムズと母ハリエットの長男としてロンドン、ペントンヴィルのロドニ・ストリート13番地に生まれる。
名前はジョン・スチュアート卿にちなむ。父ジェイムズ・ミルは、ジョン・スチュアート卿夫人ジェインらによって創設された奨学金によって、エディンバラ大学に進学した
1807年
(1歳)
1808年
(2歳)
妹ウィルへルミナ・フォーブズ生まれる(ジェイムズの長女)
1809年
(3歳)
ギリシャ語を学び始める
1810年
(4歳)
ニューウィントン・グリーンに住む(1813年まで)
妹クララ・エスター生まれる(ジェイムズの次女)
1811年
(5歳)
ラッダイト運動(~1817頃)
1812年
(6歳)
妹ハリエット・イザベラ生まれる(ジェイムズの三女)
1813年
(7歳)
1814年
(8歳)
ラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始める
弟ジェイムズ・ベンサム生まれる(ジェイムズの次男)
1815年
(9歳)
穀物法制定
ワーテルローの戦い
1816年
(10歳)
妹ジェイン・スチュワート生まれる?(ジェイムズの四女)。
1817年
(11歳)
リカード『経済学と課税の原理』出版
1818年
(12歳)
アリストテレスやスコラ派の論理学を学ぶ
ジェイムズ・ミル『英領インド史』出版
1819年
(13歳)
アダム・スミス、リカードを研究
父ジェイムズ、東インド会社に入社
1820年
(14歳)
5.15
ジェレミー・ベンサムの弟サミュエルの一家とともにフランスに滞在(1821年7月まで)
8.10
ピレネー地方を旅行(9月30日まで)
10月
モンペリエに定住
11月
モンペリエ大学の論理学、動物学などの公開講座に出席
?月
弟ヘンリー(・デリー)生まれる(ジェイムズの三男)
1821年
(15歳)
7月
フランスより帰国
?月
ジョン・オースティンから法学を学ぶ
1822年
(16歳)
デュモン編のベンサムの著作『立法論』を読み、感銘を受けて社会改良を志す
『立法論』(1802)は、ベンサムの諸論稿をデュモンが編集・仏語訳して出版したもの。
ジョージ・グロート(フィリップ・ビーチャム名義)『自然宗教が人類の地上の幸福に及ぼす影響の分析』(1822)を読む
トラベラー紙に初めて文章を発表する
妹メアリ・エリザベス生まれる(ジェイムズの五女)
1822~1823年の冬に功利主義者協会をつくる
1823年
(17歳)
5月
東インド会社に入社
1824年
(18歳)
ベンサム『法廷証拠の原理』を編集(1827年に出版)
『ウェストミンスター評論』は、ベンサムが出資した「哲学的急進派」の雑誌。後に『ロンドン評論』と合併。
3月『ウェストミンスター評論』創刊
1825年
(19歳)
弟ジョージ・グロート生まれる(ジェイムズの四男)
1826年
(20歳)
「精神の危機」に陥る
コールリッジの思想に接近。コールリッジの弟子モーリスやスターリングらと親しくなる。
1827年
(21歳)
1828年
(22歳)
東インド会社書記の首席に昇進、審査官補佐になる
ワーズワースの詩に感銘を受ける
ギシュタヴ・デシュタルと出会い、サン・シモン主義に触れる
ここでいうサン・シモン主義とは知的階級が大衆を導くべきとする権威主義的な考え。
ジェイムズ・ミル『英領インド史』出版
1829年
(23歳)
コント『実証哲学講義』を読む
コント『実証哲学講義』第一巻出版
1830年
(24歳)
8月
テイラー夫人ハリエットに初めて紹介される
ミルの弟ジョージは、ハリエット夫人を「賢く非凡な女性ではあるが、ジョンが思っていたような女性ではなかった」と語っている。
1831年
(25歳)
「時代の精神」連載開始(エグザミナー誌)
9.2
トマス・カーライルと出会う
1832年
(26歳)
6.6
ベンサム死去
1833年
(27歳)
1834年
(28歳)
1835年
(29歳)
トクヴィル『アメリカのデモクラシー』を読む
カーライルの草稿を誤って焼く(3月7日付の謝罪の手紙)
4月
『ロンドン評論』創刊。実質的な編集長となる
10月
「セジウィックの論説」
トクヴィル『アメリカのデモクラシー』(~1840)出版
ジェイムズ・ミル『マッキントッシュ断章』出版
1836年
(30歳)
6.23
父ジェイムズ肺病のため死去
脳の病気を患う。三ヶ月の休暇をとり、スイスとイタリアを旅行
「文明論」「経済学方法論」「ダーラム報告」
『ロンドン評論』と『ウェストミンスター評論』が合併
1837年
(31歳)
ヴィクトリア女王即位
ヒューウェル『帰納的科学の歴史』出版
ヒューウェル『帰納的科学の歴史』
1838年
(32歳)
「ベンサム論」
カーライル『衣装哲学』出版
1839年
(33歳)
病気のため6ヶ月の休暇。イタリアで休養。(7月1日仕事に戻る)
1840年
(34歳)
弟ヘンリー死去(享年19)
「コールリッジ論」
ベンサム主義を離れ、コールリッジ主義に最も接近した時期。この後、1842~1843年ごろから再び功利主義に回帰していく。
『ロンドン・ウェストミンスター評論』をウィリアム・ヒクソンに譲渡(『ウェストミンスター評論』に誌名変更)
ヒューウェル『帰納的科学とは何か』出版
アヘン戦争(~1842)
1841年
(35歳)
コントとの文通始める
1842年
(36歳)
6.6
ベンサム死去
アレグザンダ・ベインがミルのオフィスを訪問
アメリカの公債不履行のため損失を負う
1841年と1842年にアメリカの8州とフロリダ準州の公債がデフォルトを起こす。
ジャガイモ飢饉
1843年
(37歳)
『論理学体系』
『論理学体系』は予想に反してベストセラーになる。「あのような本がなぜあれほど売れたのか、また一体誰が、読んだとは言わないにしても買ったのか、いまだにわからない」(『ミル自伝』)
1844年
(38歳)
『経済学試論集』
1845年
(39歳)
「労働者の諸要求」
1846年
(40歳)
穀物法廃止
1847年
(41歳)
1848年
(42歳)
『経済学原理』
『経済学原理』もベストセラーになる。
ヘラドンナ剤の副作用で目を患う
フランス二月革命
1849年
(43歳)
「フランス二月革命擁護論」
7.18
ジョン・テイラー死去
1850年
(44歳)
1851年
(45歳)
4月
テイラー夫人と結婚、ケンシントンからロンドン郊外ブラックヒースに移る
ロンドン万国博覧会開催
1852年
(46歳)
4月
弟ジョージ死去
「ヒューウェルの道徳哲学」
1853年
(47歳)
クリミア戦争(~1856)
1854年
(48歳)
肺病患い、8ヶ月間休暇をとり、イタリア、シシリア、ギリシャを旅行
1855年
(49歳)
1856年
(50歳)
東インド会社通信審査部長に就任
ミルによれば、通信審査部長は本国勤務者ではインド担当大臣に次ぐ地位であるとのこと。
1857年
(51歳)
1858年
(52歳)
東インド会社廃止のため退職
11.3
旅行先の仏アヴィニヨンで妻ハリエット死去
以後、しばしばハリエットの墓のあるアヴィニヨンの別邸に滞在することになる。特に議員落選(1868年)以後は年の多くをアヴィニヨンで過ごす。
セポイの反乱
1859年
(53歳)
『自由論』『議会改革論』『論文集』第一、二巻
1860年
(54歳)
1861年
(55歳)
4月
『代議制統治論』
フレイザーズ・マガジン10月11月12月号に『功利主義論』が分割掲載される
イギリス世論が南軍支持に傾く中、ミルは北軍支持を表明した。
アメリカ南北戦争(~1865)
1862年
(56歳)
1月
「アメリカにおける抗争」
1863年
(57歳)
『功利主義論』
ジョン・オースティン『法学講義』出版
1864年
(58歳)
1865年
(59歳)
『ハミルトン哲学の検討』『コントと実証主義』
『経済学原理』『自由論』などの廉価普及版を出版
下院議員に当選(ウェストミンスター選挙区)
1866年
(60歳)
エア総督らを糾弾するジャマイカ委員会の委員長になる
婦人参政権請願書を下院に提出
1867年
(61歳)
『論文集』第三巻、『セント・アンドリューズ大学総長就任講演』
ミルはマルクスより4歳年上。同じ時期にロンドンにいたが、マルクスへの言及は一切なく、おそらくマルクスのことを知らなかった。
マルクス『資本論』第一巻出版
第二次選挙法改正
1868年
(62歳)
「イングランドとアイルランド」
ベインらと協力してジェイムズ・ミル『人間精神現象の分析』に注釈を付けた新板を出版
下院議員に落選
1869年
(63歳)
『女性の解放』
1870年
(64歳)
1871年
(65歳)
1872年
(66歳)
5.18
バートランド・ラッセル生まれる(ミルが名付け親となる)
1873年
5.3
昆虫学者のファーブルと過ごす
ミルは『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルと親しかった。
5.6
夜から発熱(丹毒)
5.7
仏アヴィニヨンにて逝去(享年66)
『ミル自伝』
1874年
『宗教三論』
1875年
『論文集』第四巻
1876年
1877年
1878年
1879年
『社会主義論』
参考文献
J・S・ミル『ミル自伝』(朱牟田夏雄訳、岩波文庫)
J・S・ミル『ミル自伝』(村井章子訳、みすず書房)
A・ベイン『J・S・ミル評伝』(山下重一・矢島杜夫 訳、御茶の水書房)
小泉仰『J・S・ミル』(研究社)
このページは、J・S・ミル『功利主義論』(奥田伸一訳、2022年、八不)の
サポートページとして作成されました。
是非とも『功利主義論』をお手にとって頂ければ幸いです。