十住毘婆沙論について

楠龍造『龍樹の仏教観』のサポートページ企画です。今回は『十住毘婆沙論』について解説します。

『十住毘婆沙論』(『十住論』)は古くから龍樹の著作と伝わりますが、鳩摩羅什による漢訳のみで、サンスクリット原典もチベット訳もないため、偽託説もあります。『十住毘婆沙論』は偈頌と、それに対する散文あるいは偈頌による注釈からなりますが、瓜生津隆真『龍樹』は、少なくとも偈頌の部分は龍樹によるものではないかと推測しています。

賢首大師法蔵の『華厳経伝記』によれば、『十住毘婆沙論』は、『華厳経』の「十地品」(『十地経』)の注釈書であり、仏陀耶舎が口誦くじゅし、鳩摩羅什とともに訳出したとされます。しかし、『十住毘婆沙論』では十地のうち、初地と第二地(の一部)までしか注釈しておらず、その理由を『華厳経伝記』は、「耶舎不誦」(仏陀耶舎が口誦しなかったため)としています。

鳩摩羅什が仏陀耶舎とともに訳した理由は、鳩摩羅什が華厳経の教理に明るくなく、仏陀耶舎の力を借りる必要があったためと推測されます。鳩摩羅什は(『十住論』という名前で)『十地経』も訳出していますが、梁高僧伝によれば、その訳出に際し、鳩摩羅什は一ヶ月余り疑難猶予して訳せずにいたところ、依頼していた仏陀耶舎が到着したので、一緒に訳出した、と伝えています。

そもそも十地とは何かというと、菩薩の修行段階を十の階梯に分けたもので、これを経ることで、仏道修行において後戻りすることのない境地=不退転地(阿惟越致あゆいおっち)に至るとされます。のちに菩薩五十二位として体系化されるものの一部ですが、菩薩五十二位では〈十地〉とは別に〈十住〉があり、『十住毘婆沙論』の「十住」は〈十地〉の方ですので、注意が必要です。漢訳では〈十地〉と〈十住〉が混同されることがあり、鳩摩羅什が「十住」の訳語を選んだため、『十住毘婆沙論』と訳されました。

『十住毘婆沙論』のサンスクリット原題は、Daśabhūmi-vibhāṣā-śāstraと推定され、daśa=「十」、bhūmi=「地」で「十地」(鳩摩羅什は「十住」と訳す)であり、最後の、śāstraは「論」という意味です。真ん中の、vibhāṣāは「毘婆沙」と音写され、「広説」「勝説」「異説」といった意味です。

武邑尚邦『十住毘婆沙論研究』は、ここでの「毘婆沙」を「種々の説をかゝげ、それらを批判しながら、やがて勝説を確立してゆくような体裁をもつもの」と述べています。

前出の『華厳経伝記』ではさらに、龍樹が龍宮に赴いて『大不思議解脱経』(『華厳経』の原型となる超巨大完全版)を発見し、その上中下三本あるうちの、下本を将来して、その注釈書として『大不思議論』というものを造ったとし、『十住毘婆沙論』はその一部であるといいます。『大不思議解脱経』はもちろん、『大不思議論』も現存しないため、その具体的内容はわかりません。

『十住毘婆沙論』が『大不思議論』の一部であるということが、『十住毘婆沙論』が『十地経』の初地と第二地の一部しか注釈していない理由とも考えられます。が、この点はあとでもう少し検討することにします。

ところで、『十住毘婆沙論』を『十地経』の注釈書であるとするのは法蔵『華厳経伝記』によるものであって、そもそも『十住毘婆沙論』は『十地経』の注釈書ではないとする説もあります。『十住毘婆沙論』の十住=〈十地〉とは、『十地経』のことではなく、菩薩道の階梯である〈十地〉そのもののことではないかというのです。事実、『十住毘婆沙論』は『十地経』のみならず、大乗菩薩道を説く初期大乗仏典を広く取り上げており、「毘婆沙」(広く諸説を取り上げ、勝説を導く)もこのことを指すとも考えられます。

中観派の実践論

『十住毘婆沙論』は、「ぎょう」(実践)を欠く、中観派にとっての実践論であると言われます。龍樹の主著『中論』は、高度に哲学的で、精緻な理論書ではありますが、理論構築に傾注するあまり、「では中観仏教を奉ずる者はいかなる行動実践を行うべきか」や「どのような修行をするべきか」「理論を理解するだけで終わりなのか」といった問題がしばしば指摘されます。

細川巌『龍樹の仏教』は次のように述べます。

学問的には『中論』が龍樹の主著であるとしても、それは学問上のことにとどまり、実践的にはほとんど見るべきものがないのではないか。三論宗その他、龍樹の『中観論』を取り扱う宗派は、ずっと以前から宗教的生命を失って骨董化してしまったようである。それはおそらく『中論』が仏教の哲理宣揚に終始して、現前脚下、実践すべきものを具体的に示していないところにあると思われる。〔中略〕仏教を単に学問の対象と見るならば、龍樹においては『中論』が中心であることに間違いはない。『大論』〔『大智度論』〕や『十住論』〔『十住毘婆沙論』〕は、内容的にはずっと地味にみえる。しかし実践的あるいは求道的立場からいうならば、最も大切なのは『十住論』であり『大論』であろう。

細川巌『龍樹の仏教 十住毘婆沙論』

中観派における実践論の欠如は唯識派との対照においてもよく語られます。

そうした中観派にとって数少ない実践論を説く書が『十住毘婆沙論』といえます。ただ、同じく『十地経』の注釈書である、世親の『十地経論』が地論宗という宗派を形成させるほどの影響力を持ったのに対し、『十住毘婆沙論』は、やはり精緻な理論構築に専心する中観派の関心を惹かなかったのか、代わりに浄土教の思想家たちに強い影響を与えることになりました。

「易行」とはなにか

浄土教の思想家たちが関心を持ったのは、『十地経』そのものにはない、つまり龍樹の独自説ともいえる「易行品」についてでした。通俗的な解釈に従えば、易行とは、難行の反対、すなわち簡易な方法という意味です。悟りを得るための困難で厳しい修行に対し、それらをスキップできるような、より簡単でお手軽な方法が易行ということになります。

しかし易行品で説かれる易行はこのようなインスタントなものとは大分趣きが異なります。易行品では、易行道を求める者に対し、「汝が所説の如き、是れ儜弱怯劣にして、大心有ること無く、是れ丈夫志幹の言に非ざるなり」と叱咤し、「身命を惜まず、昼夜精進して、頭燃をはらふが如くすべし」と激励します。

さらに「若し易行道有りて、疾く阿惟越致地に至ることを得と言ふ者は、是れ即ち怯弱下劣の言なり、是れ大人志幹の説に非ず」とまで言うのです。一体どういうことなのでしょうか。

易行品では、不退転地への近道を易行道というのではなく、難行に難行を重ね、苦闘と挫折を繰り返した果てに易行道があると考えます。

細川巌『龍樹の仏教』は、「易行品」における、難易二行の関係を次のように述べます。

難行道に対して易行道があって、難行道の実行できない愚者が、代りに易行道を行ずるというのではない。人間われらにおける唯一の道がついに易行道である。したがって、もし難易ということばを用いるのであれば、難に対し易があるのでなく、易にいたるまでの道程を難というのである。易行道にゆきつくまでが、難行道という過程である。

細川巌『龍樹の仏教 十住毘婆沙論』

さらに進んで細川は、龍樹自身は難行道と易行道を両方修めたのであろうとする説に反対した上で、大胆にも次のように述べます。

龍樹は〔難行道と易行道という〕二種の仏道を両方習得したのではなく、勤行精進によって努力を続けて進み、ついに挫折した。そののちに、信方便の易行によって、阿惟越致にいたったと解すべきだと思う。その阿惟越致は、一応『十地経』では初地として表されているが実は上地であって、このため本当は二地以上は説く必要はないのだと思う。

同上

先述の、『十住毘婆沙論』が『大不思議論』の一部であるために、二地以上が説かれていないのだとする説に対し、細川は二地以上を説く必要がなかったためであると解釈します。

『十住毘婆沙論』は入初地を説けば、それで『十地経』を毘婆沙する役割を充分に果たしており、必ずしも二地以上を説く必要はない。『十住毘婆沙論』が第二地の一部までしか訳出されなかった理由は、ここにあると考えてよいのではなかろうか。

同上

浄土教への影響

先に述べた通り、こうした『十住毘婆沙論』における「易行」の考えは、浄土思想家たちに強い影響を与えます。曇鸞は、世親の『浄土論』を注釈した『論註』において、『十住毘婆沙論』を挙げつつ、五濁無仏の世では〈行〉は為しがたく、〈行〉を為しやすくするためには、浄土に往生する必要があると説きます。ここでは、難行道を、〈行〉自体が難しいという意味ではなく、〈行〉を為すのに種々の難があるために不退転に到達しがたい道という意味に解されており、易行道もまた、〈行〉が楽に行ぜられる道という意味に解釈されています。

これに対し、道綽は『安楽集』において、難易二行を、自力/他力の概念に結びつけて、難行道を自力、易行道を他力とし、さらには聖道門/浄土門の概念に繋げます。すなわち、今は釈迦入滅久しい末法の世であり、なおかつ教理深遠のために衆生には、聖道門では仏果を悟ることができないので、阿弥陀仏の威力を借る、他力易行の浄土門こそがわれらの通入すべき道であるとします。ここでは曇鸞と異なり、難行が成就することが難しい方法という意味に解され、易行は浄土に往生しやすい道という意味に解されています。

日本の浄土教では、源信が『往生要集』において、『十住毘婆沙論』に言及しつつ、「不退転位に至るに難易二道あり、易行道というは、即ちこれ念仏なり」と説き、念仏を易行道、その他の諸行を難行道としており、ここでは難易が行自体の難しさの意味に解されています。易行を、具体的には念仏のことであるとするのは、法然の『選択集』にも引き継がれていきます。

これに対して親鸞は、〈難行道=自力=聖道門〉と〈易行道=他力=浄土門〉とを並列的に解するのではなく、難行自力によって不退転地に至るのは不可能であり、易行他力こそが唯一の道であるとします。さらに易行道を、「行」(修行)の問題としてではなく、「信」(信心)の問題として捉え、仏の本願に乗じて往生を得る、他力信仰を説きます。親鸞において他力易行は方法論の一種ではなく、信仰の中心的問題とされるのであり、浄土思想のひとつの極点に至ったものといえます。

合わせて「浄土思想と思想家たち」も参照してください。

参考文献

細川巌『龍樹の仏教 十住毘婆沙論』

瓜生津隆真『龍樹 空の論理と菩薩の道』

武邑尚邦『十住毘婆沙論研究』

長谷岡一也『龍樹の浄土教思想 十住毘婆沙論に対する一試攷』

龍樹の仏教観-詳細

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