<古龍樹と新龍樹⸺混同された龍樹伝を資料から検証>
本書は、1926(大正15)年に出版された、寺本婉雅『新龍樹伝の研究』の、現代の読者のための復刻版である。寺本は本書において、龍樹(ナーガールジュナ)に関する伝記・史料を広く渉猟し、顕密両教の祖とされ、従来一人の人物として語られてきた龍樹像をめぐる諸資料を、文献にもとづいて検討する。とりわけ、チベット文献のうちに〈新龍樹〉の存在を見出し、これを手がかりとして、古龍樹と新龍樹とを混同してきた伝承のあり方を問題とする点に、本書の特色がある。
<本書の構成>
古龍樹と新龍樹をめぐる諸説の整理にはじまり、チベット所伝の新龍樹伝そのものの検討、さらに弘法大師空海真筆と伝えられる龍猛菩薩画像や、悉曇学との関係にまで論及する。加えて、付録としてチベットに伝わる龍樹研究史料の和訳や、新古両龍樹に帰せられる著作目録を収録し、龍樹伝研究の基礎資料を体系的に提示している。
<仏教学界に投げかけられた波紋>
刊行当時、仏教学界に大きな反響を呼んだ本書は、「新古二人龍樹説」をめぐる問題群を大部の資料とともに提示し、龍樹伝研究に新たな論点を投げかけた。近代仏教学の形成期に現れた本書は、寺本の近代的な批判精神が強く打ち出された仕事であると同時に、資料解釈などに課題を残す側面もあわせ持つ。しかしそれを措いても、本書に示された博覧と、近代仏教学が切り拓いた地平は、今なお現代の読者の知的関心を誘うものである。
<著者について>
寺本婉雅は、明治・大正期に活躍した仏教学者。日本人として初めてチベットに入国した人物としても知られ、真宗大学(現・大谷大学)教授としてチベット仏教研究に大きな足跡を残した。
<誤植訂正、読み下し・和訳を付した復刻版>
本復刻版では、原著の内容を尊重しつつ誤字・誤植の修正を行い、漢文には読み下し文を、外国語文には和訳を付加した。原著の学術的価値を保ちながら、今日の読者が参照しやすい形で再提示したものである。
目次
凡例
龍猛菩薩像
龍猛菩薩画像の解説
序
古龍樹、龍猛、新龍樹等の史的関係の図系
緒言
第一章
(一)古龍樹以前の大乗経典
(二)古龍樹の出世年代
(三)古龍樹の名義について
(四)龍猛の名義について
(五)龍樹と龍猛の混同説
(六)楞伽経懸記の龍猛人名の起源
(七)龍猛または龍叫と龍友の関係
(八)古龍樹の思想と楞伽経
(九)古龍樹の出生地
(一〇)新龍樹の出生地
(一一)龍樹と羅睺羅跋陀羅の関係
(一二)羅睺羅跋陀羅伝の新古数人説
(一三)古龍樹時代の娑多婆訶王について
(一四)優陀延王と禅陀迦王との異同について
(一五)新龍樹に関する史料と年代
(一六)新龍樹教化の王名異称について
(一七)新龍樹と龍智との関係
(一八)龍智と金剛智との関係
(一九)不空金剛と弘法大師の真言相承の異同
第二章
(一)新龍樹伝の研究について
(二)新龍樹研究の批評について
第三章
(一)弘法大師の龍猛菩薩の画像について
(二)弘法大師の悉曇学の韻訳について
付録
一、西蔵所伝、新龍樹研究史料の和訳
(一)新龍樹伝
(二)新龍樹伝の疏
(三)龍智伝
(四)龍智伝の疏
(五)羅睺羅伝
(六)羅睺羅伝の疏
(七)沙羅訶伝
(八)沙羅訶伝の疏
二、西蔵所伝、新古龍樹の著書目録
(一)古龍樹の著書(二十九種)
(二)新龍樹の著書(六十六種)
(三)新阿利耶提婆の著書(九種)
(四)龍智の著書(九種)
(付)漢訳古龍樹の著書(十三種)
編註
著者略歴
ファイル形式:EPUB(リフロー型)

寺本婉雅『新龍樹伝の研究』
新古二人龍樹説
近代仏教学の知的冒険
1926年、大正末期の日本仏教学界を揺るがせた一冊⸺それが寺本婉雅の『新龍樹伝の研究』です。
寺本は、密教の初祖とされる龍樹が、『中論』の著者龍樹とは別人であると主張し、学界と宗門双方に激しい議論を呼び起こしました。
伝統的信仰と近代仏教学が衝突する時代にあって、寺本は漢訳文献、チベット語文献、西欧の最新の研究を渉猟し、「もうひとりの龍樹」を追跡します。
いま、龍樹研究が再び注目を集める中、百年前のこの問題提起は、近代仏教学の挑戦として新たな意味を帯びています。
龍樹をめぐるミステリー
『新龍樹伝の研究』は、ひとつの謎から始まります。
弘法大師空海が「真言七祖像」の龍猛(龍樹)像に添えたと伝えられる梵名⸺「ナグハラシュダ」。
龍樹の梵名は「ナーガールジュナ」であるはず。
では、この「ナグハラシュダ」とは一体何か?
本書は、龍樹伝承をたどる旅の中で、この不可解な梵名の謎にも迫っていきます。


龍樹は密教の開祖?
龍樹はしばしば密教の初祖とされてきました。
しかし、龍樹は2世紀ごろの人物であり、密教の成立は6〜7世紀。両者のあいだには数百年の隔たりがあります。
ではなぜ、龍樹が密教の祖と見なされたのでしょうか。
その背景には、『金剛頂経』が金剛薩埵から「ある大徳(高僧)」に授けられたという伝説と、『楞伽経』に記された未来の大乗論師に関する懸記(予言)とが結びつけられ、空海がその「大徳」を龍樹だと同定した、という事情があります。
南天鉄塔伝説
『金剛頂経』は、大日如来から金剛薩埵に授けられた経典とされます。
しかし金剛薩埵は人々に伝えるには時期尚早であると考え、これを南天竺の鉄塔に封印しました。
やがて時が経ち、ある大徳がこの封印を解き、『金剛頂経』を授かって、人々に伝えた⸺。
これが「南天鉄塔伝説」と呼ばれる物語です。


『楞伽経』懸記とは?
『楞伽経』には、ブッダが自らの死後、南インドに龍樹という名の偉大な論師が現れ、仏法を大いに弘めるだろうと予言する場面が描かれます。
弘法大師空海はこの『楞伽経』の懸記(予言)を元に、南天鉄塔伝説における「ある大徳」こそ、龍樹であると見なしたのです。
名前は誰を指すのか?
龍樹の梵名は正しくは Nāgārjuna ですが、
・「那伽閼剌樹那」
・「那伽夷離淳那」
・「那伽阿周陀那」
⸺と、様々に音写されてきました。
これらが果たして同名の同一人物を指すかのかも不明です。


龍樹、龍猛、龍勝……
漢名も、鳩摩羅什が「龍樹」と訳したのに対し、玄奘はこれを非として「龍猛」を正訳としました。
しかし、地婆訶羅や実叉難陀は逆に「龍猛」を誤訳として退け、「龍樹」を正訳としたのです。
また、「龍勝」こそが適訳とする文献もあれば、「龍猛」という名は Nāgāhvaya という別人を指すとする説もあります。
このように、龍樹という人物は異名や異訳に翻弄され、しばしば別人と混同されてきました。
『新龍樹伝の研究』は、こうした混乱を整理し、龍樹像を立体的に描き直そうと試みています。
龍智長寿説、引正王など
他にもいくつか興味深い論点や話題が扱われています。
たとえば、龍樹の弟子である龍智が700歳の長寿であったとする奇説の謎。
また、龍樹と関わりがあったとされる娑多婆訶王(引正王)とは何者か?⸺娑多婆漢那王、優陀延王、乗土王などとは同一人物なのか?⸺など。
本書は、様々な経典、漢籍、チベット文献などの資料を駆使し、こうした諸論点に切り込んでいきます。


チベット資料の和訳付き
本書には付録として、チベット所伝の『成道者八十四伝史』の和訳(一部)と、新古龍樹の著書目録が収録されています。
『成道者八十四伝史』は、説話的性格の強いものではありますが、そこから新龍樹、龍智、羅睺羅、娑羅訶の伝記が訳出されており、興味深い資料です。
著書目録は、チベットに伝わる、古龍樹、新龍樹、提婆、龍智の著書名を列挙しています。
“怪僧”寺本婉雅
寺本婉雅は、東本願寺派の僧であり、『新龍樹伝の研究』を著すような学究の徒でありながら、その前半生は「外交手腕に富む行動派人間」と評されるような人物でもありました。
寺本は、チベットに入国した最初の日本人であり、首都ラサに入った三人目の日本人でした。
義和団の乱では清朝皇室に出入りし、慶親王らの信頼を獲得したかと思えば、戦乱で荒廃した寺院でチベット大蔵経を発見し、日本に将来した人物でもあります。
また、西本願寺の法主・大谷光瑞の弟で名代の大谷尊由とダライ・ラマ13世との会談をセッティングし、13世より「トブタンゾパ」(トゥプテン・ゾパ)という法名を授かるなど、あたかも外交官のような活躍を見せます。
後半生は一転、学究生活に入り、『新龍樹伝の研究』をはじめ、多くの研究書、翻訳書などを手掛け、仏教研究に大いに貢献しました。



議論を招いた『新龍樹伝の研究』
『新龍樹伝の研究』の前身となる論文が雑誌『密教研究』に発表されるや、仏教学界に大きな波紋が広がりました。
多くの外国文献を調査し、欧米の最新研究を参照した寺本の論証を評価する声がある一方で、羽渓了諦、栂尾祥雲、荻原雲来、森田龍僊⸺といった研究者たちから辛辣な批判の声も寄せられ、密教学界はもちろん、広く仏教界を巻き込んだ一大論争となったのです。
批判は、護教的なものから、資料解釈を問題視するものなど、多岐に渡り、信仰と学問⸺その成熟と未成熟、徹底と不徹底が入り乱れる、近代仏教学の形成期を象徴する論争となりました。

当時の書評
(現代仏教 3(25) 1926年5月)
大谷大学教授寺本婉雅氏は西蔵仏教学者として著名である。その西蔵文一切経の研究を進むるにあたって龍樹菩薩は二人なりしことを発見したとて昨年これを発表し、教界に一大驚異を与えた。今本書はその発見にかかる新龍樹をば詳説せるものである。すなわち西暦一世紀半時代出世の龍樹は純仏教の復興者であって毫も密教的色彩は帯びていないか、後世顕密二教八宗の祖として崇敬せられ密教と関係あるが如く観らるるは間違いで、これは西暦五世紀半時代出世の新龍樹と混同したからである、故に両者の相違を明瞭にし、新龍樹の存在を確証せねばならぬという主旨の下に著されたものである。内容は左の如くで弘法の筆の誤りなども挙げられてある。〔以下、『新龍樹伝の研究』の目次を引用〕
当時の書評
(新刊紹介『六大新報』1164、1926年5月)
本書は最近仏教学界に龍樹問題として論議せられしものにて篤学なる著者が本問題に対する深遠なる抱負を発表せるものである。第一章においては西紀一世紀半時代に出世せる所謂古龍樹と西紀五世紀半時代出世の所謂新龍樹について前後十九段に分ちて広く大小乗の学説を引いて論究し、第二章にては新龍樹伝の研究ならびにこれに対する諸方面の批評について弁じ、第三章には弘法大師の龍猛菩薩の画像および悉曇学の韻訳を論じてある。
さらに本書について特筆すべきは付録として西蔵所伝龍樹研究史料の和訳および百余種の新古龍樹の著書目録が添えてあることで本書著者独自の領域である。
新版で甦る『新龍樹伝の研究』
本書復刻版では、誤字脱字の修正はもとより、旧字旧かなを新字新かなに改めるなど、より読者の読みやすさを向上させています。
加えて、漢文のみの文章には読み下し文を付加し、外国語のみの文章には和訳を補っており、現代の読者にも入りやすいものになっています。








