浄土思想と阿弥陀信仰

楠龍造『龍樹の仏教観』のサポートページ企画です。今回は浄土思想と阿弥陀信仰について取り上げます。『龍樹の仏教観』では「他力教」という言葉で頻出しますが、その内実は、浄土思想であり、阿弥陀信仰です。

浄土思想(浄土教)とは、死後に浄土に転生することを求める思想であり、特に阿弥陀如来の力を借りて極楽浄土に往生し、成仏することを願う阿弥陀信仰がその代表です。浄土思想の起源はインドにまで遡りますが、中国や日本で発達し、特に日本では法然が浄土宗を開き、その弟子の親鸞が浄土真宗を開いて、多くの信徒を獲得していきます。今日、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土系は、日本で最も信者数の多い宗派となっています。

と、いいつつ、浄土思想は浄土系のみのものではなく、他の宗派にも見られるものであり、阿弥陀の浄土(極楽浄土)のみならず、各如来の各浄土が信仰されてきました。弥勒信仰も一種の浄土信仰であり、弥勒浄土(兜率天)への往生を願望するものでした。

しかし、その代表格はなんと言っても浄土往生を信仰の中核に据える阿弥陀信仰であり、事実上、浄土思想=阿弥陀信仰であって、特に日本では、法然のもたらした画期性、そして親鸞による深化と普及に着目せざるを得ません。そこで本稿では、阿弥陀信仰を概観することで浄土思想とは何かを解説したいと思います。法然ら浄土思想の思想家たちについては後日、稿を改めて詳述する予定です。

阿弥陀信仰

阿弥陀仏の起源ははっきりしませんが、阿弥陀は、サンスクリット文献では、アミターバ(Amitābha, 無量光=無限の光明の意)ないし、アミターユス(Amitāyus, 無量寿=無限の寿命の意)という名で現れる仏です。どうも元々は無量光仏だったものが無量寿仏に拡張されたようです。しかし日本ではどちらかというと無量寿仏という名称の方が重視されました。

しかし無量寿仏が文字通り、無量(無限)の寿命を持つのかどうかについては争いがあります。「無限の寿命」が人間から見て「無限とも思えるほど長い」という意味ならば、阿弥陀仏による救済には時間的制約があることになります。『無量寿経』の最古の漢訳である『大阿弥陀経』では、阿弥陀仏もいつかは亡くなるので、その後は蓋楼亘菩薩(観音菩薩)が仏となり、さらにその後は摩訶那鉢菩薩(大勢至菩薩)が仏になると記しています。しかし後代になるとこの記述は消えてしまいます。

慧遠(523-592)は、寿命限界論を説きましたが、道綽(562-645)や善導(613-681)は寿命無限論を説きました。道綽や善導の論理は「極楽浄土に現れた阿弥陀仏は報身なのだから永遠不滅である」というものでした。この報身とは、仏の身体を法身・報身・応身に分ける仏身論という考えに基づくもので、生身の身体とは別の、悟りをひらいたことで得た永遠不滅の身体のことです。詳しくは本連載の「成仏思想と仏身論、多仏思想」の回を参照してください。

阿弥陀信仰を説く中心的な経典として浄土三部経があります。『無量寿経』、『阿弥陀経』、『観無量寿経』のことで、特にこの三つの経典を重視するのは法然に由来します。

浄土三部経のひとつ『無量寿経』によれば、阿弥陀仏は法蔵という名の一人の比丘(僧)でした。彼は元々ある国の王でしたが、出家して僧となります。そして、すべての人が仏になれる仏国土をつくるべく、世自在王仏に四十八の誓願を立てて、幾度もの転生を繰り返し、長い長い修行の末に、阿弥陀如来となります。阿弥陀如来の仏国土は、極楽浄土と呼ばれ、死後にこの地に転生した者はみな仏になれるといいます。

誓願とは、法蔵が立てた誓いのことであり、「もし私が仏になろうとするとき、◯◯でない限り、仏にはならない」という形式で語られます。例えば、第十八願はこうです。「もしわれ仏をえたらむに、十方の衆生至心に信楽して我が国に生ぜむと欲して、乃至十念せむに、若し生ぜずば正覚をとらじ。ただ五逆と正法を誹謗するとを除く」(「国訳仏説無量寿経」『国訳大蔵経』国民文庫刊行会)

ここでは、「阿弥陀の仏国土(極楽浄土)に往生したいと望み、それを十回念じた者が皆、往生できない限り、私は仏にならない」という誓いを立てています。この「十回念じる(十念)」はのちに「称名念仏」(阿弥陀仏の名を称える)と解されて普及していくことになります。

ところで、「ただ五逆と正法を誹謗するとを除く」という限定条件が付けられています。五逆とは「父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、仏身を傷つける、僧団の和合を破る」の五つの罪のことであり、「正法を誹謗する」とは、仏の正しい教えを誹謗中傷することです。この二つの場合に限って、阿弥陀の仏国土に往生したいと願ってもできません。

誓願は本願ともいいますが、厳密には、悟りをひらく前に立てた誓願のことを本願といいます。特に、本願というだけで阿弥陀のそれを指す場合もあります。「他力本願」という言葉がありますが、この場合も本願は「阿弥陀の本願」という意味ですので、願っている主体は阿弥陀であり、他人任せにしたがるといったような、願っている主体が本人である場合に使われる他力本願は、本来は誤用です。「他力」も「本願」も同じ意味で、特に「本願力」という言い方もありますが、阿弥陀仏の力ということであり、非力な人間が阿弥陀仏の力を借りて悟りを得ようというのが阿弥陀信仰の考えです。

阿弥陀三尊図 高麗

阿弥陀如来を中尊にして、観音菩薩(右)と大勢至菩薩(左)が脇侍として配されている図像

これは阿弥陀仏が助力してくれるということ以上に、阿弥陀仏の特質として、自ら進んで人々を浄土に引き取ろうとする、積極的な救済思想があるということを意味します。特に日本仏教では、来迎らいごうといって、死に際して、念仏を称える者の元に、阿弥陀仏と菩薩衆が訪れ、極楽浄土へ導くという考えがあり、多くの来迎図が描かれました。

極楽浄土

阿弥陀の仏国土は、スカーヴァティー(Sukhāvatī)といい、鳩摩羅什や玄奘による「極楽」という漢訳が定訳になっています。極楽浄土は、我々の住む娑婆世界の西方にあり、三悪道(地獄、餓鬼、畜生)などが存在せず、太陽も月も星辰もなく、暗黒もないといいます。また高山も大海もなく、まったく平坦で、七宝で飾られた樹木(宝樹)がそびえている、などの特徴があります。

『阿弥陀経』によれば、極楽浄土には「種々の奇妙なる、雑色の鳥」が囀っており、その鳴き声を聞いて「皆ことごとく、仏を念じ法を念じ僧を念ず」といいます。しかし、動物(畜生)は、輪廻の中にあって未だ人間になっていないか、罪報のために畜生道に堕ちた存在のはずで、極楽浄土にはいないはずです。実は、この鳥は、化鳥といって化作された鳥で、「阿弥陀仏の法音をして宣流せしめんと欲して変化へんげしてしたまえる」ものなのです。

極楽浄土に転生したとしてもそれは、輪廻の内にあるものではなく、輪廻を超越したものであり、しかしながら涅槃そのものではなく、極楽浄土への転生も成仏そのものではありません。涅槃に限りなく近く、成仏を約束されてはいるけれど、ここでさらなる修行を積むことで確実に成仏に至る場所ということのようです。

ではどうすれば、極楽浄土に転生できるのか。それには、三心さんじんや念仏、称名などが必要とされます。

三心とは、至誠心、深心、廻向発願心の三つで、『例文仏教語大辞典』によれば、至誠心は「仏を信じる、汚れない真心」、深心は「真実の理法を求める心。または悟りを求めるその深い心。深い道心」、廻向発願心は「みずから修めた一切の善根功徳を他の人にもふり向けて、ともに極楽浄土に生まれたいと願う心」とされます。

三心は極楽往生の前提条件であり、必須条件であるとされます。善導や法然のように称名念仏を特に重視する立場においてさえ、そうであり、三心のうちひとつでも欠けたなら極楽に往生することは叶わないといいます。

今日では「念仏」とは「南無阿弥陀仏と声に出して称えること」と理解されていますが、もともとは「仏を思念すること」(観想念仏)であり、のちに「仏の名前を称えること」=称名念仏の意味へと変化していきます。

阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)

臨終に際し、念仏を称える者(右下)の元に、阿弥陀仏と菩薩らが訪れるところを描いている

観想念仏についても、仏の姿を視覚的にイメージする「有相の念仏」(事観)と、真理に精神を集中する「無相の念仏」(理観)とがあります。称名は元来、より難易度の高い観想念仏(特に無相の念仏)に対する入門的、導入的な行と位置付けられていたようですが、次第に重要度を増していきます。法然に至っては、極楽往生のための、ほぼ唯一最大の行ということになります。

空の論理との整合性

極楽浄土へ往生する目的の一つに「倶会一処くえいっしょ」があります。倶会一処とは、すでに亡くなって会えなくなった人々と再会することです。極楽浄土に往生すればそれが可能だといいます。浄土信仰を批判した日蓮ですら霊山浄土での倶会一処を肯定しており、しかもそれは法華経から論理的に導かれたものではなく、それを望む大衆のために用意されたものとされます。

この倶会一処にしてもそうですが、浄土思想は、大乗仏教の根本原理である空の論理との整合性の問題があります。というのも空の論理によれば、一切の存在は実体を持たないので、阿弥陀仏や極楽浄土も実在的なものではないということになるはずです。

その論理的整合性をとる一つの理路が「般舟三昧」です。般舟三昧とは、修行者が(深い瞑想状態である)「三昧」に入ることで、仏が目の前に立ち現れるというものです。それが可能であるのは、すべてが空だからこそと考えられます。つまり、阿弥陀仏や極楽浄土は心のうちに内在するものとするのです。こうした考えは、世親(400-480)や曇鸞(476-542)などに顕著なものです。

がしかし、善導はこれに反し、阿弥陀仏や極楽浄土を外界に実在するものと捉え、これを「指方立相」と呼びました。具体的な方向(西方)に、実際に姿を持った阿弥陀仏と極楽浄土が存在するという意味です。善導の考えは一時的に大衆的な人気を獲得しましたが、中国ではその後すぐに衰退していきます。むしろこれを引き継いだのは、日本の法然でした。法然は「偏依善導」と称して善導の思想を継承・発展させていきます。

法然の浄土思想は、浄土思想の純化であると同時に、ある意味で、仏教の原理からの逸脱とも取れるような発展を遂げます。法然については、稿を改めて詳述したいと思いますが、ここで注目したいのは、浄土思想がなぜ求められたのか、別言すれば、浄土思想はいかなる機能を持つか、ということです。

浄土信仰は物語の力

この点に関して、多くの論者が、それを「物語の力」であるとしています。平岡聡『浄土思想入門』は、人生に意味はないからこそ、人生を意味づける物語が必要とされると言います。

ままならぬ人生や、人間に制御不能な最たるものとしての死、そうしたものに直面した際に、人は物語を求めます。しかし人間のエゴに基づく、恣意的な物語では「人間中心主義/エゴ中心主義」を脱することができず、人間を超えた視点(阿弥陀仏)から人間を相対化する物語が必要となるのです。

岩田文昭『浄土思想』は、物語の力が人々を救済しうること、また物語ることによって救済されうることを説きます。

小説であれ映画であれ演劇であれ、創作された話によって、人々は泣いたり笑ったり感動したりする。一つの物語との出会いにより、生き方が変わることさえある。それは通常の語り方では表すことのできない、深い次元の層に人々を誘う力が物語にはあるからである。それだけではなく、自らの辛く苦しい経験を他者に物語ることで、その苦悩がやわらいだりすることもある。それは自己のなかで鬱屈していた感情や思いが物語られることにより解放され、新たな現実世界へと生きる道が開かれることがあるからである。(『浄土思想』)

道綽は、悟りに至る方途に、聖道門と浄土門の二つがあると考えました。聖道門は、今生において自力で修行し悟りを得ようとする方法で、浄土門は、極楽浄土に往生してそこで悟りを得ようとする方法です。しかし末法の五濁悪世において、自力で悟りを得ることは難しく、易行としての浄土門が求められるとしました。

これは決して楽をして悟りを得るということではなく、非力な存在としての人間をより確実に救済するための方法として浄土門が求められるということであり、浄土教が俗世に生きる弱い人々(凡夫)へ目を向け、普遍的救済の地平を切り開くものであることをよく示していると言えるでしょう。

参考文献

平岡聡『浄土思想入門 古代インドから現代日本まで』

岩田文昭『浄土思想 釈尊から法然、現代へ』

正木晃『現代日本語訳 浄土三部経』

末木文美士『浄土思想論』

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