『自由論』、『功利主義』(ともに岩波文庫)、『代議制統治論』(岩波書店)の翻訳者でもある関口正司による『J・S・ミル 自由を探求した思想家』(2023, 中公新書)を読みました。
考えてみれば、新装版(2015年刊)があるとはいえ、菊川忠夫『人と思想 18 J・S・ミル』(清水書院)の原著は1966年の刊行で、小泉仰『J.S.ミル (イギリス思想叢書)』(1997, 研究社出版)の刊行も20年以上前、しかもこちらはほぼ中古でしか手に入らない状況なわけで、手に取りやすい、手頃なJ・S・ミルの評伝や解説書がなかったことを、本書の刊行に際して、思い起こしました。
その意味で本書は現代にふさわしいミルの評伝、入門書になっていると思いました。というのは、例えば菊川忠夫『J・S・ミル』を読んでみてもわかるのですが、かつての(古いタイプの)ミル研究では、多分にマルクスを意識したものが多く、それはつまり、マルクス以前の、(マルクス的な視点における)古典派経済学の限界を象徴する人物としてのミルだったと思うのです。
しかしながら、本書にはマルクスの名は登場せず、その主眼は、『自由論』、『代議制統治論』、『功利主義』に代表される政治哲学者としての仕事に置かれています。ミルには複数のジャンルでの功績がありますが、今日において、最も重要な意義を持つのはやはり、このジャンルであることは疑い得ないと思われます。(経済学者や論理学者としての部分がほとんど描かれないのは少し寂しい感じもしますが)
また、評伝部分に関する記述も充実しており、特に「精神の危機」についての読み解きは圧巻ですらありました。
ところで、本書の副題「自由を探求した思想家」を見た時、少々懸念を覚えたのですが、「はじめに」において、見事に楔を刺されたような思いでした。
とはいえ、よく知られている『自由論』であればこそ、気がかりなところもある。自由を熱心に擁護したという事実から、即座に自由主義(リベラリズム)というレッテルをミルに貼りつけ、それでわかった気になってしまうのではないか、という懸念である。これでは、ミルの思想にかんして、理解不足や誤解が生じることになる。(関口『J・S・ミル』)
よく見れば確かに、本書の副題は「自由を探求した思想家」であって、「自由を擁護した思想家」ではない。擁護もしたが、探求したといったほうがよりふさわしくあるのだろうと思います。
ただこうした見事な宣言に比して、実際に本文中において、どの程度、その目論見が成し遂げられているのか、については疑問なしとしないです。ミルを、自由を擁護し、民主主義を擁護し、女性参政権を擁護した”立派な思想家”としてののみならず、カント的なリベラリズムと鋭く対立する功利主義者としてのミルの側面ももう少し描いて欲しかったという思いも残りました。
ともあれ、中身の充実度、深さにおいて決して類書に劣ることのない、しかもアップデートされたミル入門書として、定番になるに違いない一冊だと思いました。
菊川忠夫『人と思想 18 J・S・ミル』(清水書院)
ミルとマルクスの仮想対談などあっておもしろい。
小泉仰『J.S.ミル (イギリス思想叢書)』(研究社出版)
評伝としては一番詳しい。
【PR】関口先生の岩波文庫版『功利主義』もいいですが、小社刊『功利主義論』(奥田伸一訳)もよろしくお願いします。小社刊『功利主義論』では、既訳との比較・解説もあり、より理解しやすい翻訳になっています。
J・S・ミル『功利主義論』(奥田伸一訳)
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