『功利主義論』に言及された人々(1)プラトン

J・S・ミル『功利主義論』(奥田伸一訳)のサポートページの一環として、「『功利主義論』に言及された人々」と題し、シリーズとして、『功利主義論』で言及された人物とその文献について紹介していこうと思います。

第一回は、プラトンとその著『プロタゴラス』です。『プロタゴラス』は、しばしば年配者として描かれやすいソクラテスが、比較的若年(37歳頃と推定)として登場する対話篇です。

当時ソフィストの大家と目されていたプロタゴラスがアテナイに来訪したため、ソクラテスは、友人に連れられて、プロタゴラスとの対話に挑みます。

功利主義者としてのソクラテス?

「(もし、プラトンの対話編が、本当の会話に基づいているのなら)若きソクラテスが、長老プロタゴラスの説を聞き、当時人気のあった、いわゆるソフィストの道徳論に対抗して、功利主義の理論を主張したとき以来、思想家もそのほかの多くの人々も、この問題について合意に近づいているとは思っていない。」(『功利主義論』奥田伸一訳)

驚くべきことに、ミルはここで、ソクラテスが「功利主義の理論を主張した」と述べています。

『ミル著作集』第11巻収録の“Notes on some of the more Popular Dialogues of Plato”でも次のように書かれています。

For instance, the principle of utility,—the doctrine that all things are good or evil, by virtue solely of the pleasure or the pain which they produce,—is as broadly stated, and as emphatically maintained against Protagoras by Socrates, in the dialogue, as it ever was by Epicurus or Bentham. (The Protagoras, CW XI)

例えば、功利の原理――すべての物事は、それらが生み出す快楽や苦痛のみによって善であるか悪であるか〔が決まる〕という教義――は、エピクロスやベンサムが主張したのと同様に、対話篇の中でソクラテスがプロタゴラスに対して広く述べ、強く主張している。

この一文は、プラトン『プロタゴラス』がソクラテスに仮託して自説(プラトン自身の考え)を述べているわけではない、とミルが述べるところで出てくるもので、例えば、功利の原理は、ソクラテスの考えではあるが、プラトンの考えではない、と書いている部分です。

ソクラテスの功利主義とは?

では、ソクラテスが主張する功利の原理とはどのようなものなのでしょうか。『プロタゴラス』の終盤において、ソクラテスは倫理の基準として快楽主義的な考えを主張します。例えば、次の箇所です。

しかし、いまからでも、きみたちの主張を撤回してもらってもかまわないのだよ。もしきみたちが、よいものとは快楽以外の何かであり、悪いものとは苦しみ以外の何かであると、どんなしかたであれ主張できるならね。

次のようにも言います。

ぼくは言った。「それでは、みなさん。次の点についてはどうでしょうか。苦しまずに快く生きるという結果につながる行為は、すべて立派な行為ではありませんか? そして、立派な行動はよいものであり、有益なものではないでしょうか?」

そして、倫理基準とは、快楽と苦痛、それぞれの量の比較計算の問題であると言います。

さて、大衆諸君。これで、ぼくたちの生活の安全を保障してくれるものは、快楽と苦痛の正しい選択のうちにあることが明らかとなった。そして、その選択とは、多いものと少ないもの、大きいものと小さいもの、遠いものと近いものの選択であった。だから、それがまず第一に計量の技術だということは明らかではないだろうか?

反功利主義者としてのソクラテス?

確かにこれはベンサム的な効用計算、快苦の原則に似ています。ところが中澤務訳『プロタゴラス』の「解説」によると、これはソクラテスの真正の主張とは考えにくいのだといいます。

快楽主義的な考えかたは、ソクラテスの思想にはなじみにくいものなのです。ソクラテスは、このような考えかたには批判的でした。他の作品では、ソクラテスは、快楽をただちに〈よいもの〉と同一視するような考えかたに強く反対しています。(中澤務「解説」『プロタゴラス』所収)

はたして「快楽主義的な考えかた」はソクラテスの考えなのか、プロタゴラスの考えを代弁したものなのか、大衆の考えを代弁したものなのか、いずれとも捉えにくい部分もあり、仲澤氏は「いろいろな見方のできる興味深い議論」であるとしています。

功利主義者としてのソクラテスというのは、ミルの勇み足だったのでしょうか。これより先は、私の手に余るため、賢明なる読者の皆さんにおまかせしたいと思います。

初回から踏み込んだ話になってしまいましたが、基本的には文献紹介というスタンスでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

『プロタゴラス』からの引用はすべて光文社古典新訳文庫版より。

内容紹介

「人間の徳(アレテー)は、教えられるものなのか?」「ソフィストとは、そもそも何者か?」。若くて血気盛んなソクラテスは、アテネを訪問中の老獪なソフィスト、プロタゴラスのもとにおもむき、徳をめぐる対話を始める。しかし、議論は二転三転。次第に哲学的色彩を強めながら、やがて意外な結末を迎えることになる。躍動感あふれる新訳で甦る、ギリシャ哲学の傑作!

岩波文庫版もあります。

内容紹介(「BOOK」データベースより)

当代随一と仰がれるソフィストの長老プロタゴラスがアテナイにやって来た。興奮する青年にうながされて対面したソクラテスは、大物ソフィストや若い知識人らが見守るなか、徳ははたして人に教えられるものか否か、彼と議論を戦わせる。古来文学作品としても定評あるプラトンの対話篇の中でも、とりわけ劇的描写力に傑れた一篇。

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